目を閉じてご飯を食べると

目を閉じてご飯を食べると、味覚というものの存在に気づく。

視力の低い人がメガネをかけるとより遠くの景色がくっきり見えるように、いつもスマホやテレビを見ながらご飯を食べていた人が目をつぶってご飯を食べると、より細かく「味」を感じることができる。

昔、ウェブの専門学校の先生が言ってた。「世の中には2種類の人間がいる。生きるために食べている人と、食べるために生きている人。前者は食事を作業のように思っていて、後者は『今夜何を食べるか』を昼から考えてたりする。」なるほどしっくり来る部分が多いと思った。そして僕は間違いなく前者だと思った。その時は、そう思った。

もひとつ。

昔、有名な予備校のカリスマ塾講師の人の本を読んだ。その人はこう書いてた。

「僕は、食事をする時、必ず片手間に本や雑誌を読んでいます。何もせず、ただ食事だけをしている人の気持ちが全くわかりません。噛んでいる間の時間がもったいないと思いませんか?」

その時は、その通りだと思った。僕の場合、ご飯を食べながら考えることは、お風呂に浸かりながら考えることと同じで、大抵しょうもないことばかり。なら何かしらインプットした方が得。その方が将来の役に立つ。

そう思ってた。でも最近は考えが変わってる。

そもそも上の文章で『何のために生きてるか』とか『時間がもったいない』とか『得』とか『将来の役に立つ』とかの言葉が出てきたけど、最近はこれらの言葉は簡単に使いたくないと思ってて、それぞれ1時間ずつぐらいかけて紐解きたいくらいの言葉。

そう簡単に、生きる上で何を良しとし、何を良しとしないかの大前提を決めたくない。少なくとも誰かの受け売りを飲み込みたくない。最近は、そういう感じ。

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目を閉じてご飯を食べたことが一回もない人は、ぜひ一度試してみてほしい。

色々と考えられて、楽しい。

例えば、ヨーグルトを一口食べた時の味覚の動きについて、というタイトルで作文するとする。目を開けてやってみた時と、目を閉じてやってみた時とでは、きっと文章の深みが変わって来る。量で言えば目を閉じた時の方が3倍は多く書けそうに思える。

水一杯飲むだけでも、語れる。

水が唇に触れる。常温よりやや冷たい、と感じる。舌に乗り、喉に当たる。ここで唇を閉じる。すぐには飲み込まずに、少し水を蓄えてみる。口の中にある空気を巧みに喉に追いやり、口内を水だけで満たしてみる。みるみる、水温が上がっていくのを感じる。それも外側、つまり歯茎や舌との接着面から順に暖かくなっていくのを感じる。ここで、舌を使って水をかき混ぜてみる。水の中心部分はやはりまだやや冷たかったことがわかる。でも混ぜるとすぐに全体が暖かくなる。ふいに飲み込みそうになる。物を飲み込む時に使う喉の筋肉は、意識的に動かせない筋肉の一つで、一度飲み込み始めてしまったらもう止められない、という知識を思い出す。じゃあ、一気に飲み込むのではなく、少しずつ飲み込むことは可能だろうか。途切れ途切れにではなく、ちょろちょろと少量を連続的に飲み込み続けることは可能だろうか。やってみよう…というふうに。

水一口で、ここまで遊べる。

今気づいたけど、この例は「味」はあまり関係ないね。温度とか人間の喉の筋肉とかの話してるもんね。

でもまあ、「普段何気なくやってることでも、目を閉じて感覚を研ぎ澄ませるだけでここまで遊べる」ということが言いたかったのです。

人生楽しい。

おわり。