月別アーカイブ: 2014年5月

本読んでより多くを得るための心がけ

こんにちは!劇団四季に入りたい。ガストンです!

いまディズニーの魔法っていう本読んでます。もともと本読むの遅くて最後まで読むのが苦手な僕ですが、今回はかなり楽しいし、読み進むのが速い。なんでなのか、よく考えてみた。

何を得るために読むのかがはっきりしてる

今まで本読むときは「面白そうだな」と思って読んでるだけでした。でも今回はそれに比べて、読む理由がはっきりしてるのが違うのかなと思う。僕は今美大の卒業制作の一環でディズニーアニメーションについて調べている。特にディズニーアニメの脚本の共通点とかを調べてる。だから読んでても、それに活かせそうなとこはしっかり読み、逆に活かせなさそうなところはじゃんじやん飛ばす。だから読むのがめちゃ速い。本に書いてある日本語を全部読む必要は全然ない。読んでて、「あ、なんかウォルト・ディズニーがお兄ちゃんと喧嘩した話が始まった。どうでもいいや」と思ったら、その段落全部さーっと読み飛ばす。「まだお兄ちゃんとの喧嘩の話をしているかどうか」だけを読み取ろうと思いながら読んだらその間は読むのめっちゃ速い。そういう風にしながらじゃんじゃん読み進める。そして、その本に飽きてしまう前に読み切るのが大事。

そもそも本読むときってみんなどうしてんの

そもそも本(小説以外の本)読む時っておもろいとこだけ読むのが当たり前な気がしてきた。だって頑張って面白くない章を全部読んだとしても、記憶に残らないもん。おれ今まで人生で読んだ本の中で面白かった話は何?って聞かれたら答えられるけど、面白くなかった話は何?って聞かれても答えられないもん。だからこれからも本読む時、常に「ここおもろい。読む。ここつまらん。飛ばす」のどっちかの状態でいたいなと思った。

何を得たくて読むのかとりあえず決めてから読めばいい気がする

これからは他の本読むときも、おれはこれを読んで何を得たいのか、を考えてから読もうと思う。そしたら読み飛ばす基準が見つかる。人工知能について書かれた本を読む時、漠然と「人工知能について知りたい」だけじゃなくて、「ぶっちゃけSF映画に出てくるようなロボットが人間を襲う的なことがどれくらいありうる話なのか、を知りたい」みたいにして読む。その本に載ってる文章量の20%くらいしか読まないぞ、ぐらいの気持で読み飛ばせばいいと思う。それでも目に止まった部分は、もし当初基準に定めたものと違ってもいいから読む。それで目に止まったってことはよほど面白いと思うとこだから。

まとめるとあれだ、今まで自分は途中で読むのをやめてしまった本が多すぎるから、途中で終わるくらいなら最初から30%しか読まないつもりでいいからすごい勢いで読み飛ばして最後まで読もうと思う。

僕がカレンダーアプリから手帳に変えた理由

こんにちは!つい最近ネットで大口を叩いて後に引けなくなりました!ガストンです!

皆さんカレンダーアプリ使ってますか?ちょっと前まで僕はガンガン使ってました。手帳?ハッ。今の時代に君はまだそんな紙にしがみついているのかい?かさばるし、ペンがないと書き込むこともできないし、なくしてしまえばおしまいじゃないか!僕?僕は当然カレンダーアプリで予定を管理しているよ!これならいつでもどこでもペンなしで書き込めて、ポケットからiPhoneを取り出せばすぐに確認できるし、万一iPhoneをなくしてもデータはクラウドに保管してあるから安心!これの便利さに気づかず「やっぱり紙でしょ」などというステレオタイプに縛り付けられていることの不自由さにいつまでも気づかない手帳族はなんて愚かななんだろう!と、思っていましたがやっぱ紙だわ(ドーーーン!!)そう思った経緯。

生きてるってなんだろう

いきなり悟りを開き出したサブタイトルですが、カレンダーアプリを使っているとだんだんそう思えてきました。どういうことかというと、もうね、便利すぎて、予定を頭にとどめないの。記憶装置の外部化が進みすぎて、例えば朝起きて昼の予定と夜の予定を確認する。昼の予定を終えた時もう夜の予定忘れてんの。また忘れた時確認すればいいから、覚えなくていいの。そしたらおれ覚えないタチなの。いつでもすぐに確認できる、っていう状況が、数時間後の予定を頭に留める努力を放棄するわけ。そしたらあたしさ・・・気づいた時にはもう、今日が何日なのかさえ、カレンダーを見なくちゃわからない人間になってたわ・・アプリを開かなきゃ、自分の今日の生き方さえわからない・・・カレンダーを利用しようと思ってたのに、気づけば自分が、カレンダーに使われてたのね・・・

手間が便利さを生む

そんな自分が嫌になったわ。そして思ったの。手帳を使えばいいんじゃないかって。可笑しいよね。でも本気だった。だって、手帳は確認するためにカバンから取り出さなくちゃいけないし、予定を書き込むのもアプリより面倒でしょ?そしたら、一度手帳を開いた時に、今日一日の予定を頑張って把握しようとするんじゃないかと思ったの。これは本当に、そうなったわ。皮肉なものね。手間を省きたくて便利なものを使っていたはずが、本当は手間をかけた方がかえって便利だったなんて・・・
手帳「お嬢さん・・」

画面と紙面の根本的な違い

デバイス「裏切ったな・・・」

お嬢さん「デバイス・・・!」

デバイス「おれはあんたを信じてた・・・何ヶ月も先までおれに予定を入力するあんたは、これからもずっとおれのそばにいてくれると思ってた・・・」

お嬢さん「違うのデバイス!」

デバイス「違うもんか!手間がかえって便利だと・・・!?ふざけるな!そんなバカな話・・・!あってたまるか!!」
お嬢さん「理由は他にもあるわ」

デバイス「なっ!?」

お嬢さん「近年、ある学者が、紙面と画面から目に伝わる光と、それに関する注意力の違いについて発表したわ。それによると、紙面上の情報は蛍光灯などの光が反射して目に入るのに対し、画面に映った情報は画面そのものから発せられる光がそのまま目に入っているわ。この二つで、視覚から伝わった情報を処理する際に使っている脳の部分が違っていて、紙面の情報を処理する時だけ、脳が『疑いモード』になるそうなの。ポスターなんかを作った時、印刷してから文字の間違いに気づくのもこれが原因よ。参考リンクはこちらよ。だからねデバイス。あなたが悪いんじゃない。私の脳が悪いの。許して・・・」

デバイス「お嬢さん・・・すまねえ。あっしはそんなことも知らねえで・・・あっしは!あっしは・・・!」

お嬢さん「いいのよもう・・・あなたが紙のような反射光ではなく、透過光ディスプレイを採用している限りこれはどうしようもないことなの。あなたはあなたのできることをすればいい」

デバイス「お嬢さん・・・!」

手帳「おやお嬢さん、今度反射光ディスプレイが発売されるみたいですぜ」

お嬢さん「あら乗り換えようかしら」

デバイス「貴様ーーーー!!!!」

webデザイナーの残業について

こんにちは!上から水滴が落ちてくるのはいいけど横から来るのはまじでクソコラちくしょう雨嫌い!ガストンです!

こないだ見たブラック・プレジデントっていうドラマで、主人公であるブラック企業の社長が「たらたら仕事したせいで発生した残業時間に給料が出るのはおかしい!」と言ってました。まあそうだよな、と思った、とだけ書くと反感を買いそうなので、なんでそう思ったかを書いてみます。

そもそもなんで残業するか

僕は今web制作会社でアシスタントデザイナーとしてバイトしてます。たまに残業がありますが、バイトなので長くても1時間ほどしか残業ありません。先輩方は終電近くまで残ったり、日によっては徹夜もあるそうです。僕がいつ残業するかというと、一日のノルマを定時までに終えられなかった時です。ノルマが終わるまで残業します。そのノルマというのは、大体昼間に与えられて、「今日中にできる?」と聞かれ「はい」と答えたものです。空気的にYesと言わなきゃいけないなんてこともないです。ただ、実際は、「はい!多分できます!というか頑張ります!というか先輩に褒められたいのでやってのけて見せます!」という気持ちです。そして間に合わず残業してます(ドーン!!!)

で、言わずもがなそのノルマっていうのは先輩なら余裕で定時までに終わらせられる分量なわけです。つまり僕がまだ未熟だから残業する羽目になってるわけです。それで残業代がもらえてしまうので、時々罪悪感さえちょっぴり感じます(ちょっぴりね。残業代はほしい←)。そして、その先輩が僕より3歳年上だとすると、僕はweb業界で生きていきたければ3年以内に先輩レベルまで達しないといけないわけです。web業界は変化が激しいのでもしかしたら2年でそうならないといけないかもしれません。つまり今のうちから「先輩レベルのノルマを定時に終わらせる」のを自分のノルマにしなきゃいかんわけです。「おれまだ先輩レベルじゃないから先輩レベルのノルマ課されるのオカシイヨ。おれでも定時までに終わらせられる分量ヨコセヨ」って言ってたら2年後もなんも成長してないと思うわけです。常に成長し続けるのは当たり前だと思います。だって新卒採用というものがそもそも、「会社に入ってから必要になる専門知識が全くない人を採用する」ということなんですから。

そもそも働くってどういうことか

そもそもね、働いたらお金がもらえるシステムを築き上げた昔の人たちは偉いです。だってそれ普通じゃないもん。例えば僕はある日webのバイトで、丸一日画像の加工だけやっていた。それでも一日分の給料もらえるわけですよ。おかしくない?だっておれフォトショ使って写真の明るさ変えたりトリミングしたりしただけだよ?おれが誰の役になったのか、どんな価値を生んだのかさっぱりわかりません。じゃあなぜおれは一日分の給料をもらえるのか。それは、他の誰かがその画像をサイトに載せて、また別の誰かがそのサイトを見て、その企業の商品に魅力を感じ、買い、その企業が儲かり、web会社に感謝しお金を払い、web会社の経理の人がそこから給料分を僕に渡してくれるからです。で、それを僕が待ってたら僕が画像を加工してから給料を貰うまでに何ヶ月もかかるので、毎月決まった額をもらうシステムになってるわけです。だから僕は心して時給以上の働きをしなきゃいけないわけです。

つまり元をたどれば、「疲れたら・手を動かしたら・やることやったら」お金がもらえるのが当たり前なんじゃない。「価値を産んだら」お金をもらえるのが当たり前なんです。で、「働く」というのは「価値を生むこと」です。大学卒業までは宿題さえやってれば「君の人生それでおっけー」と言われてきた。でも就職したら、職種によっては与えられた仕事以上の働きができるのが当たり前、ということがありうる。これさえやってりゃオッケー、という考え自体、安定してる国にしか存在しないはず。

そもそも職として目指すところがあるかどうか

もっと言うと、世の中の「あそこブラック企業らしいよやべえ」という意見の90%が他人事だと思います。で、当事者は、自分が勤める会社がブラックかどうかよりも「自分がその業界でどこまで上り詰めたいのか・そのためにどれくらい働けばいいのか」を考えるべきだと思う。僕はデザイナーになりたい。ずっとアシスタントデザイナーは嫌だ。そのためにどうすればいいか考える。webデザインのスキルを上げるためにすべきことや練習方法を考えて実践している。就職後は就業後や土日にそれをやらなくちゃいけない。もはや残業ダリィとかいうレベルじゃない。自主制作に熱中する美大生に労働基準法は存在しない。でも社会には存在している。社長はこれを無視するわけにはいかない。無視できるのは、自主的に、自分のスキルアップのために残業する社員だけ。

はあー。もちろん人生において仕事そのものは一部に過ぎないわけですが。

うまい喋りは星座を描く

こんにちは! ターゲットっていう英単語帳のアプリにハマってますが僕の経験からものを言わせてもらうと多分1週間と続きません!ガストンです!

また喋りネタ。人前で(内容的に)面白い話をするためのコツ。星座の話は実は大学教授のウケウリですが、とても共感したので紹介します。さて上手い喋りに必要なものは何でしょう?その一つに伏線回収というのがあります。

伏線回収と星座

伏線回収というのは喋ってる最中に、数分前に話した内容が再び登場することです。「さっき話した○○みたいに」、「つまり○○ってこういうこと」、「はいこれがさっき言ってた○○とつながるわけですねー!」などです。気持ちいいやつ。ただ、このように一直線上で「巻き戻し」が完結されてるだけだと、ただの伏線回収です。これの延長線上・進化版が「星座を描く」です。

星座とは、つまり図的な伏線回収です。例えば、「Aっていうことがある。あとBという経験をしました。ちなみに最近はCという流れがあります。これらは関係ないと思いきやよーく考えてみると実はこういう共通項があるんだよ」みたいな話をした時、相手の頭の中には三角形の図が描かれるはずです。これが星座です。

ストーリー(時間軸)の重要性

人がそもそも物事を理解するプロセスには必ず時間軸があります。「火は熱い」ということを理解する時、1.火を触る。2.熱い!という体験が必要です。この時重要なのは「触るとどうなるんだろう?」という疑問です。僕が中学生だった頃、歴史の先生がこれを上手く活かした授業をしていました。「このA民族はこれだけの武力があってここまで繁栄してますが、西暦○○年、B民族に領土を乗っ取られてしまいます。なぜでしょうか?続きは次の授業で。」といった具合です。こんなもん気になって気になって予習しちゃいます。

これに対してよくある歴史の授業は全くつまらないのはご存知の通りです。つまり、疑問を抱くことなく時間軸に忠実にこうなってこうなった。と言うだけ。頭に入ってこない。これはやめましょう。なぜ?という疑問を相手に与えてスッキリ!体験を与えましょう。さらにその時、要素が3つ以上相互に関係すると相手の頭には図が描かれて、スッキリ!体験は倍増します。

より強く記憶に残せる

スッキリ!体験がある喋りは人の頭に長く残ります。そもそもプレゼンなどの人に何かを伝える場では、こういった「頭に残す工夫」は喋りの内容そのものと同等の重要性があると思います。例えば日本語を勉強中の外国人が「いってらっしゃい」を「バイバイ」と同じ意味だと誤解して、友達とさよならするときに「いってらっしゃい」を使い続け半年経つとします。気付いたとき、恥ずかしさのあまりその言葉は脳裏に焼きつき、もう二度と間違えないでしょう。恥ずかしい!やスッキリ!や、熱い!などの感情が理解に繋がるのです。

いいもの作るだけは飽きた

こんにちは。やべえなんもやる気しねえ。ガストンです。

僕は大学のパフォーマンスサークル(epa!)を4回、演劇サークル(劇むさ)を1回、オープンキャンパス制作委員会を2回経験してきました。大勢(20人以上)でひとつのもの(イベント)作るという経験についての話です。時には演出という人に指示を出す立場も経験しました。そして今はパフォーマンスサークルの後輩に、練習はこうしたらいいよとか、組織にいい空気を作るにはこうしたらいいよとかアドバイスしてます。でもね、いい舞台を作ろう!がんばろう!って単純に頑張るのもう飽きた。というかそれだけじゃ我慢できなくなってきました。

ものを作る全過程

みんなで「いいもの作ろう!」ってなって制作する全過程をバーっと言うとね。ステップ1.数人の企画メンバーが企画を立ち上げて人集める。ステップ2.人が集まってものを作り始める。ステップ3.後半、「このままで良い物作れると思いますか?」みたいな深刻な会議が開かれたりして一部が修羅場と化す。ステップ4.なんだかんだ言って全部終わる。打ち上げ。反省会。ステップ5.次回もやりたいという人が残る。で、ステップ1へ戻って繰り返す。はっきり言って半年や1年かけてもの作るっていう大掛かりなことでさえ、何回もやってるとこと大体どんな感じになるかわかってくる。先が見えてくる。この流れが不満だ。どんなにつまらないもの作っても「よかったよかったみんな頑張った」ってなる。どんなにいいもの作っても「あそこをもうちょっとああやればもっとよくなったのに」ってなる。公演アンケートには「よかった」と書いてくれるお客さんが大半。団体のOB・OGの方々が好き勝手言ってもっとこうした方がいいんじゃないかとか書いてる。キリがない。みんな「いいものを作ろうとする」ことだけやればいいと思ってる。そこから抜け出せてない。

具体的な目標がないと自己満足に終わる

要は、「いいもの作ろう」なんていう抽象的な目標だと、最終ゴールは結局のところ自己満足になっちゃう。学生が集まってお金を出し合って誰に頼まれたわけでもないのに自主的に舞台作ってる。そこには団体の具体的な目標ーーー例えば、前回は入場者数が2000人だったから今回は入場者数2300人を目標に頑張ろう!などーーーがない。epa!も劇むさもオープンキャンパス委員会も、そういう具体的な数字の目標をかかげてはいなかった。だが実際、自分が上に立って演出をやった時はそこまで手が回らなかった。悔しい。

3-5年間計画を立ててやりたい

今思うのは、「いいもの作ろう!」って言ってものを作るんじゃなくて、企業がやってるようなことをやりたい。利益を最大にすることを第一に考え、過去すべてのデータを睨みながら今回はどれくらいの数字を目標に掲げるかとか考えたい。で、例えば入場者数こんだけを目標にしてやるぞ!ってやったなら、その数字を超えられなかったらどんなにアンケートに「よかった」と書かれたところで、結果を「失敗」だと受け止める。それくらいの環境でものを作りたい。成功、失敗をはっきりさせたい。それが出来ないのは要は、epa!も劇むさもオーキャンも、参加する学生の多くが「これでおしまい」だから。成功、失敗をはっきりさせてもし失敗になったとき、次参加しない人が報われないから。これが企業だと違う。大人の彼らは自分の会社に数年間確実にいる。epa!を5年間毎年やると約束されるようなもんだ。そうともなれば最初の1,2年は練習期間だ。5年目には意地でも「成功」させたいと熱くなるだろう。それが学生団体だと到底できない。

何年間も見据えた組織のマネジメントがやりたい。epa!も劇むさも、公演日時が決まってて公演回数が決まってて満員御礼になったところで見てくれるお客さんの人数やチケット売り上げの限界は見えてる。さらにそれらを過去公演の業績と比較してどうだったっていうデータをepa!も劇むさも持っていない。というか比較したところで「考えられる最大の売上」が小さいからあまり意味がない。ここ5年間、入場者数は右肩上がりで5年前と比べると今年は倍近いです、なんてこと絶対にない。さしずめ展示室に入る客席数は限界があり、毎年似通ったキャパになり、チケット売り上げは60%〜100%の範囲でどれくらいか、という結果になる。オーキャンや卒業委員会、もっと言うなら広報入学センターで仕事をしたときもーーー自分は広報入学センターに一時的に雇われてオープンキャンパスのwebを作ったことがあるがーーー過去数年分の入場者数のデータと今年の入場者数目標などは上から降りてこない。もともと何のためにこのイベントをしているのか、どれくらいがノルマで、今後どれくらいの数字を叩きだして行きたいのか。そのためにこうすればいい、といった引継ぎ資料はないのか、などなど。広報入学センターでwebの仕事をしながら、もっと企画段階から関われたら色々貢献できたのに、というかディレクションやりたい・・・と思ったりしていました・・・

ものづくりのグループワークにおいて、チケットがどれくらい売れたか、どれくらいの人が来てくれたか、についてこだわってガミガミ言ってると、仲間から少し温度の低い目で見られた経験が何度かありますが、自分たちどれくらいの利益・価値を出せているかを、自己評価や身内での評価だけでなく、具体的な数字でも把握すること社会に出たら非常に重要、というか常識だと思うんですがみなさんどうすか。これからも「いいもの」を作り続けますか?

アナ雪分析ネタバレあり

こんにちは!こないだディズニー好きの友達に、「アナ雪何回見た?」と聞かれ「2回」と答えたガストンです。

今回はアナ雪のネタバレしまくりながら(あとラプンツェル、美女と野獣のネタバレもあり)ストーリーを分析してみます。というか、僕はアナ雪のストーリーがイマイチだなあと思っているのですが、それがなぜなのか、を考えてみます

1.冒険がしょぼい

一番納得できなかったのは、エルサが創り上げるお城のしょぼさ。きれいだし、造られてるミュージカルシーンはゲロヤバ感動もんです。ただ、あのお城には歴史と中身と必然性が足りない。ディズニー作品にはよくお城が出て来ますが、そのどれもが物語上で大きな役割を持っています。美女と野獣では魔法で物にされた召使いたちがいるし、シンデレラでは物語の大半がお城の中の出来事を描いてる。お城が出てきたら、見てるこっちは、そのお城の場所としての重要性や、お城の中で起きるお城の中でこその出来事を期待するわけです。でもそれがアナ雪のお城には足りない。まず一瞬で作ってるから歴史がない。雪と氷で作られた召使いはほとんどいない。さらに極、お城までの道のりが(冒険要素)があまり長くない。アナとクリストフがお城に着く。いよいよエルサとの再開だ。お城にお邪魔します。エルサいました。お話しします。・・・っておいまじか。普通やん!雪山超えてたどり着いて玄関でなんかイベントないんかい!エルサ普通に出てくるんかい!思った通りの会話かい!もうなんか分析やのうて愚痴になってまいました。とにかく、お城の役割の濃さが、お城の外見のインパクトを超えてないという印象。

サブキャラにサブキャラの物語がない

サブキャラが上手く活かせてないな、という印象。サブキャラは、メインキャラの物語に花を添える存在ですが、最近のディズニー作品は洗練されてて、サブキャラにはサブキャラの物語があるようになってます。塔の上のラプンツェルに出てきた賞金稼ぎの男たちは、ラプンツェルに夢の大切さを思いださされ、最後にはお城の夢が叶っています。アナ雪で気になったサブキャラはトロール。ミュージカルシーンさえあるのに、その内容もアナとクリストフが結ばれる伏線(と思わせる)くらいしか役割がなく、しかもその直後の展開(アナの心に刺さった魔法のトゲを治す)と直結しないため、「なんだったんだろう」と思ってしまう。物語の最後にもう一度出るでもなく、物語全体を見たときに存在感が不完全燃焼している気がする。

メッセージの伝え方がやや不自然

ラストシーン、アナとクリストフと、エルサとハンスが吹雪の中で出会う。あれまじか。吹雪で視界が悪い中、2人のキャラクターが出会得るのまではいい。物語にはよくある話。でも4人てまじか。なんか無理矢理集めた感じがしてしまった。で、そこからのディズニー映画初の「兄弟愛オチ」。それ自体は新しくていいが、その見せ方が微妙。エルサが「自分で気づいて」魔法が溶けるんですよ。気づいて、頭で理解して、魔法が溶けるプロセスがすこしもたついている。エルサが「そっか愛かー!なるほどねー!」って理解してるのがなんかなえた(実際はそんなセリフないけど)。とにかく素敵なきっかけが欲しい。美女と野獣ではベルの「愛してるわ・・・」というセリフがきっかけ。ラプンツェルではラプンツェルの涙がきっかけ。そういった素敵なきっかけで氷ついたアナや国中の雪が溶けたらもうバツグンによかった。

はい。以上分析というか個人的な感想になってしまいました。もうちょっと素敵な比較調査とかできるよう精進します。

物語を書くとき大事なこと3つ

こんにちは!腕時計してると手首蒸れるよね!ガストンです!

実は今、友達と喜劇をやろうと計画立てています。詳細はまだ内緒ですが、今回その戯曲を書きました。原案は友達が書いて僕が戯曲書きました。演劇の戯曲は生まれて初めて書きましたが、書きながら気をつけたことなど書いてみます。

最初に物語の軸を決める

まず人と何かを作るときは最初に軸を決めます。おれたちはこれから何をやるのか、なんでお前とやるのか、何をやるためにお前とやるのかなどなどをなんとなく把握しときます。軸の大切さは多分ここで僕が何を言っても経験しないとわからないと思うのですがあえて言うなら「何がやりたかったのかわからなくならないようにするため」です

たとえば今回僕らが書いた戯曲での軸は、「笑い8割感動2割」「夢を諦めない大切さを伝えること」です。戯曲を書きながらちょくちょくこれができてるかどうかを確認します。書いてるとついつい、当初の予定よりもやっぱり感動よりの、王道なものがやりたくなったりします。そういうやってるうちにやりたいことが変わるとやばいです。そのとき「感動よりのがやりたいならおれお前と喜劇作りたくない」と言える仲間はなかなかいません。結果、嫌々「なんか違う」ものを一緒に作っていくはめになります。それまじやだよね。だから軸を最初に決めて、ぶれないようにする。

無駄なく無理なく緩急つけて落ちつける

これ大事な4つ。パッと閃いた大事な4つ。多分、多くの演劇で当てはまる大事な4つ。順番に見ていく。

無駄なくせ

「このシーンいる?」「このキャラいる?」「このアイテム(道具)いる?」「この間(ま)いる?」など、全部徹底的になくす。よくあるのが、このシーンいる?いるよ。だってこの描写したいもん。その描写、似たのここでもうやってるじゃん。というやつ。戯曲をひと通り書いてから全部見直すときに、ひとつひとつのシーンをいるかどうか見直すんじゃなくて、そもそも必要なシーンがどれなのかを見直して、重複してないか探した方が速い場合が多い。

無理はないか

話の流れに無理があるとまずい。えええ主人公そんなショックなことそんなすぐ受け入れられるの?とか、一個あるともうそれだけでなんかなえちゃう。無理な流れがどうしても出てきそうなときは、そもそもなんでその流れがやりたいのか、まるごともっと前に持ってくとか後に持ってくとかできないのかとか考える。あと最終手段は、演出でごまかす、ということ。これディズニー映画とか見てたらまじでうまい。明らかおかしいのに演出でいい感じに納得できちゃう。美女と野獣のプリンセスとか一日で野獣のこと好きになってんだぜ?頭おかしい。でも一日しか経ってないってことに気づきにくい演出してるんだよ。まじで神業。そういう演出の神業でおかしさをごまかすのも手。

緩急つける

これはもう当たり前だよね。美大生ならみんな知ってるよね。美大生じゃなくてもなんとなくわかるよね。単調だと眠くなる。この辺で笑い入れとこうとか、この辺で音響入れとこうとか、この辺で事件起こそうとか。時には物語全体がそもそも盛り上がらない構成になってるかもしれないのでそのへんは第三者に見せてみて確認とるとよい。

落ちをつける

落ちを付ける、というよりは、落ちに向かっていけてるかどうかを確認する、ってこと。最終的に言いたいこと、伝えたいこと、お客さんに感じて欲しい感情、感動などを用意できてるか。それに向かって必要十分な構成ができてるかを確認する。あらゆるシーンがそこだけ浮いてしまってないか。このシーンはこの物語上どういう役割があるのか、を言えるようにしとく。

ターゲットを決める

最後に、物語のターゲットを決める。これは自分はなんとなく決めてるだけだけど、決めるのと決めないのとでは作ってる最中のぶれ具合が変わる。ターゲットっていうのは、こういう笑いはわかる人とわからない人と分かれそうだけどそれでもやろう、とか。お客さんはほぼ美大生だろうからこういうセリフを入れよう、とか下ネタのレベルはこの辺を上限にしとこう、とかです。どういう人が見るのか、どういう人に見てもらいたいのかを自分たちの中で作っとくのは大事。よくあるのが、ターゲットとか意識せずに自分たちのやりたいことをやる、というやつ。あれはナンセンス。やりたいことやるのはいいけど、ターゲットを意識しないのがナンセンス。どんなにやりたいこと自己満でやろうと、絶対受ける人はいるんだから、それがターゲットなんだから、後付じゃなくて事前に狙っていけ。狙ったものづくりができないと誰かに頼まれてものづくりなんてできない。

また脱線しました。おもろい話を書くぞ〜。おしまい。

喋るのうまくなるコツ6つ

こんにちは!おならを我慢する筋肉がやや劣っています!ガストンです!

今日epa!という舞台制作サークルの説明会に参加して1年生の皆さんにepa!のいいとこについて熱弁してきました。ちょくちょく笑いもとりながら15分くらい喋って思ってることを喋りました。終わった後色んな子から「めっちゃよかったです」「どうやったらそんなに喋るのうまくなれるんですか?」と聞かれまくって超絶気分よかったです。まじで自分喋るのクソ上手い自信ある。だからここで本当は「才能かな!」と答えることで優越感に浸りたいところですが、それはさすがに非生産的すぎるので、トーク力うまくなる方法書いてみます!

1.言いたいことは3〜6個にまとめよ

言いたいことは事前にわかりやすく何個かに分けときましょう。よく講演とかで「これから3つの話をします」って言ってから喋り出す人いますね。あれとか上手いです。今自分は何の話を聞いているのかを相手に把握させることはめちゃ重要です。さらに人が覚えて帰れる話の数は少なめです。3〜6個のまとまりにしとくのが懸命でしょう。これは10分のトークだろうが1時間半のトークだろうが同じです。

2.相手と一体化するための雑談を混ぜよ

これめっちゃ大事。相手と一体化する、っていうのは、その場と一体化するという意味です。別の言葉で言うなら、聞き手に「ああこいつ俺らが聞いてようが寝てようが、同じことを同じように話すんだろうな」と思われたらもうおしまいです。「んなわけねーだろ!おれは!あなたたちに聞いて欲しいことがあって、伝えたいことがあって今ここに立ってんだ!頼むから聞け!寝たらおれは悲しいぞ!悲しいんだぞ!」ということが相手に伝わることは自分の話しやすさ的にも相手の聞きやすさ的にもめちゃ大事です。

具体的にどうするかというと、例えば出だしでできるだけ「みんなが思ってることを言う」ことをしましょう。「今日はひどい雨だったけどみなさん大丈夫でしたか?」とか、「なんかこの部屋寒くないですか?(笑)暖房つけますね。すみません」とか。トークの聞き手は大抵、聞き手同士は他人です。さらに聞き手と自分も他人です。その「他人感」をできるだけ減らして温かい空気を作るのです。今日の説明会だと、部屋に来る手前、隣の教室でポケモン部?というサークルの説明会があったので、あれを引き合いに出してもよかったと思います。「ポケモン部ってぶっちゃけ何してるんだろうね?」とか多分多くの学生が思ってることなので、言えば「おれもそれ思ってたww」みたいなクスクス笑いをとれて場がなごんだと思います。もちろん他のサークルに失礼のないようなジョークで。まあ今日は尺の関係で言いませんでしたが・・・

3.自ら動いて眠い人を起こそう

聞き手の何割くらいが下を向かずに自分の目を見て話を聞いてくれているのかを常に把握して、臨機応変に寝ている人を起こそうという工夫をしましょう。スライドを見せながらのプレゼンでしたらスライド中に動画や音を入れるなどの工夫もありますが、ここでは体一つでできる技を3つ紹介します。

3-1.とにかく自分が動こう

もう一番簡単。自分が体ごと動くんです。上下は難しいですが左右には動きまくりましょう。何かの例え話をするとき、複数の人物のやりとりを可能な限り再現して、落語のように体を左右に振りながら2人分の人間を一人で演じるのです。それが難しければ、手だけでジェスチャーでもオーケーです。「これくらいの大きさの」とか「やった!と思いました(ガッツポーズ)」とか、あるいは「例えばこれが◯◯だとしたら」と言いながら教室内にある何か物を使うとか(その物を使うために部屋の端まで移動する、とかの演出あるとよりグッド)。

3-2.とにかく聞き手の目を見まろう

聞き手の目を見まくりましょう。一番手前の右端に座ってる人から一番奥の左端に座ってる人まで、聞き手の目から目へとどんどん視線を移しまくりましょう。ついつい、めっちゃこっちを見てくれている子か、タイプの女の子の方を見てしまいがちですがそこはぐっとこらえてできるだけ色んな人の目を見ましょう。話してる途中に、さっきまで寝てた人がこっちを見ていたら絶対に見るように気をつけましょう。何か表情が変化するときはその人を見ながらできれば尚よしです(引きつけることでその人がまた寝てしまう可能性が減る)。

3-3.表情筋まじで使おう

これムズイと思うけど、表情筋は誰にでもあります。人前で話すのが苦手な人でも、仲のいい友だちとたわいない話をするときは表情筋動きまくりのはずです。驚いた顔、しかめっ面、笑顔など、いつもしている表情をトークでできるだけでかなり違います。問題はいつもの自分を大勢の他人の前でできるかどうか。だから先に述べた、ちょっとしたジョークなどで場と一体化する、ということが重要です。緊張してるなら「こう見えて自分いまかなり緊張してますwww」とか言っちゃえばいいんです。これだけでめっちゃ楽になります。

4.全体の流れをつくろう

例えば15分の中で5つのまとまりを話すとしたら、その5個の話の順序もちゃんと考えて決めましょう。順序を考える際の基準は、「最終的にひとつのことが言いたかったんだよ」と思わせられそうかどうか、です。実際は全く関係のないことを話していても、話の中に「さっき話してたときも出てきましたが」とか入れれたらもうなんとなくうまくつながってるかのような感覚になります。

5.日頃から言語化の練習しよう

僕はトークが上手いというよりかは語彙力と論理的思考が得意な自信があります。というかこの2つがトークに必要。

語彙力というのは正しい言葉遣いです。特に、同年代の友達も年上の人もそうですが、話を聞いていると的確な形容詞と比喩が出てこない場面が多い。日頃から「なんかアレだね」って言う回数を減らしましょう。あるいは「なんかアレだね」の後に「〇〇みたいだね」とつけるようにしましょう。日頃からのトレーニングはまじで効きます。

論理的思考というのはちょい説明ムズイですが、建設的な議論をする力と言い換えれるかと思います。何も論理学チックなことは考えなくていいんです。例えば「夏休みの宿題は最初に終わらせるといいよね。だってそしたら後が楽だもん」というのは論理的じゃないです。「後に終わらせたら最初が楽だから一緒じゃん」となったときに、論理的に言い返せないからです。「人によるじゃん」で終わってしまう主張は論理的じゃないです。論理的思考のトレーニングとして思い浮かぶのは「言わなくてもわかるだろ!」を捨てよう、という意識です。あとは日頃から「なんとなく〇〇だなあ」という感覚があったら言葉にしてみましょう。なぜそう思ったのかを、頭のなかで、それに関心がない人にもわかるように説明してみましょう。関心がない人に言葉で説明する、というのはなぜか美大生はあまりやろうとしませんが、あらゆる場面でめちゃ大事です。練習しましょう。

6.ムズイと思うけど笑い頑張ってとろう

はい、最後にこれです。ぶっちゃけトークが面白いスキルについて今まで色々書いたし、あらゆる本やブログ記事なんかで色々言われてるけど、ぶっちゃけよ。ぶっちゃけ7割以上才能だと思うわ(ドーン!!!)。才能というか、感覚?フィーリング?特に笑いに関しては。でもやっぱ笑いって人の話聞く労力を極端に減らす(寝なくなる)パワーを持ってると思う。だからこれはちょっと頑張ろう。話してる途中にアドリブで「あっこの例え話、表情筋豊かに驚いた顔を再現したら笑いとれるな」とか考える余裕がない人は事前にどこでどう笑いとるか計画しとくしかない。めちゃ大変だと思うけど、やる価値はめちゃめちゃある。頑張って笑いとろう。残念ながら笑いばっかりは解説できない。多くの男子が小学生の頃から研究に研究を重ねた結果を「言ってわからせる」なんて到底不可能。女の子や笑いの研究をしてきてない男の子は、ちょっとしたミスやちょっとしたリアクションなどでくすくす笑いを誘うか、事前に計画立てて行くしかない。がんばろう。

映画「きつねと猟犬」見た(ネタバレあり)

こんにちは!ディズニーの昔の作品を見あさってます!ガストンです!

きつねと猟犬見た

きつねと猟犬というディズニーアニメを見ました。ネタバレありでレビュー。この映画公開されたのは1981年。有名どころと時期を比較すると、くまのプーさんの後、リトルマーメイドの前となります。

間延びが気になる

もうこれね。とにかくこれ。きつねと猟犬に限らずジャングルブック(1967)見ててもすごく思う。この心情描写にこんなに時間かけなくていいだろ!とか、このシーンそもそもいる!?とか。アラジンとかMr.インクレディブルとかに比べてとにかく展開がゆっくりに感じる。シーンひとつひとつに必要性が感じられない。

ストーリーのテンポがとにかく悪い。これも古い作品によくある。最終的に主人公のきつねトッドに奥さんができるんだけど、この奥さん登場するのが開始30分から。全体の約半分。遅い。ラスト20分ぐらいから急に早くなって楽しめたけど、それまでは見てて眠かった。というか寝た。翌朝から続き見た。

重要シーンがひとつの出来事に集約されていない

最後にこれ。なんかディズニーの昔の作品にはなくてピクサーや最近のディズニーアニメにはあるのが、これ。ひとつの出来事に重要シーンが複数ある。伝えたい出来事ひとつにつきひとつのイベントを起こすのではなくて、ひとつのイベントで多くを表現する。これが最近の作品はとにかく素晴らしい。

例えばきつねと猟犬だと、ひとつの物語上必要な出来事起こすのにひとつシーンを使ってる感じがある。トッドの奥さん(ビクシー)は最終的になんの役割があったかと言うと、育て親のおばさん(トゥイード夫人)から野に放たれ、自然の世界で生きていく術を持たないトッドが途方に暮れているのを救う役割があったが、主にそれだけだった。ビクシー一人につき、重要な出来事がひとつだ。これは少ない。

例えばボルトのライノというハムスターの役割を考えてみる。以下ボルトネタバレあり。

ライノの役割は、1.ボルトにヒーローの必要さを伝え、勇気を与える。2.ミトンズ(猫)に仲間を助けることの重要性を伝え、ボルトが去ってしまっても追いかけようとしないミトンズを動かす。3.ボルトにスーパーパワーがないことを知らせる決定打を与える。4.お笑い担当と、大きい役割が4つもある。最後のお笑い担当は、ストーリーを前進させるには不要かもしれないが、この作品がファミリーエンターテイメントであるために欠かせない要素となる。ボルトでは、ボルト、ミトンズについてもこれと同じかそれ以上の重要な要素が多数ある。一人のキャラクターにつきこれだけの要素があると、当然「このキャラいる?」とはならないし、魅力的なキャラクターになる。

とにかくボルトはストーリー展開、それに関わるキャラクターの濃さともにお腹いっぱいになれる映画だ。きつねと猟犬やジャングルブックなどはそれに比べるとやはり物足りない。聞いた話だと、昔のアクション映画のアクションシーンは現代のそれに比べると動きがかなり遅いらしく、見れたものではないらしい。この理由のひとつに、視聴者の目がアクションシーンに慣れているから、というのが考えられるそうだ。もしかするとディズニー映画で古い作品のテンポが遅いのも似た理由なのかもしれない。「絵が画面の中で動く」ことがどんどん当たり前になり、それだけでは満足行かなくなったということなのかもしれない。

劇むさ役者感想

こんにちは!学科の合宿から帰ってきましたガストンです!

劇むさっていう演劇サークルの役者の感想を書いたよ!こんど地獄の反省会に行ってくるよ!そこで反省点を書いてみたら結構おもしろい内容になったからここにも載せちゃうよ!

・各キャラの掘り下げ共有が一度だけで効果も薄かった。

一度、自分の役に対して抱いてるイメージを書いて来る、というのをやった。あれ今思えば何の意味があったのかわからない。あれ、やって終わりだった。みんなは自分の役に対してどう思ってるの?へえそうなんだ。で、終わり。おれはこのキャラの性格もっとこうだと思ってたけどな、とか言っても、そうかー、で終わる。つまりそれ以上の会議が個人に委ねられる。委ねられると、みんなやらない。だから役の掘り下げ会議をもっと時間設けてやるべき。

このキャラはこのシーンでどんな心境なの?とか、このシーンって笑いを取ろうとしてるシーンなの?とか、共有すべき。共有して始めて、「だったらもっとこうした方がよくない?」という意見が出始める。

・一緒にご飯食べる制度、すぐに崩壊した

役者全体や戯曲に関して話し合いの場を設けよう、ということでみんなでご飯を一緒に食べることに一時期なってたけど、数回だけやって終わった。結局主に雑談しかしないからあまり効果がなかった。だからやはり会議と銘打って役者会議すべきだった。ご飯の時間を使うのではなくて、練習時間を割いてやるべき。その方がメリハリが出る。会議は練習と同じくらい重要。

・戯曲会議がなかった

戯曲会議がそもそもないのがおかしい。作演が書いてきた戯曲に対する質問タイムが一切なく、すぐに練習に入るのはおかしい。当然、役に対する疑問や不満、戯曲に対する質問や提案はあるはずだ。それこそ役者の数だけあるはずで、みんなの疑問や意見こそいい舞台を作るための資源になるはずだ。それらを作演は片っ端から聞き取り、取捨選択すべきだ。だがこれらを話し合う場が全くない。結局、我慢できなくなった人が個人練で友達に愚痴る。その愚痴に共感する人が多いと、個人練の時間に人がどんどん集まって会議みたいになる。で、役者長がこれはまずいと判断して作演含めた緊急会議を開く。これは実際にあった一例だが、非常によくない会議の起こり方だった。つまり、定期的に会議する仕組みがなかったからこそ、ある役者が不満を溜め込み、我慢できなくなったときに緊急会議が開かれる。緊急ということで、みんなの中に「とてもまずい状況だ」という意識が生まれる。これがよくない。

実際に、役者で行われた会議という会議はこのときの会議と、第二回企画外がなくなったときの2回くらいだ。4ヶ月かけて作る舞台に関する役者会議がたったの2回。どう考えてもおかしい。しかもどちらも、空気は最悪だった。

これらは解決できる。みんなで疑問や不満を言い合う場を定期的に作ることで溜め込まずに済む。裏方会議という言葉を聞いて、ああ裏方は会議してるんだ、羨ましいなあ、と思った。

作演に話しかけるタイミングというのは、おそらく作演や作演と仲のいい人たちが思ってる以上にない。全くない。移動時間か、休み時間かしかない。そんなときにコアな疑問などぶつけられるわけがない。

・ストレッチ長い

ストレッチやたら長い。ストレッチは必要だと思うが、あんなに長い時間かけてやらなくてもいいと思う。ラジオ体操ぐらいでいいと思う。あんなに長いのを毎回やるくらいだから何かこだわりがあるのかと思いきや、本番近づくと全くやらない。準備運動は個別でやっておけと言ってもみんなやらないだろう。だから極端に短くして、みんなでやるべきだ。本番近づいても、アキレス腱と首、手首回すのと屈伸、前屈、開脚、股関節ぐらいはみんなでやるべき。2分で終わる。

・顔筋トレ効率悪い

顔筋トレも長い。長い時間かけてずっとやってきた割りには、結局あれやってよかったと公演終わって言える人がどれくらいいるのだろう。
後半、ある役者は笑うのが苦手ということで、笑顔の表情筋ストレッチがいつもの顔筋トレに加えられた。そういうのなら本人は効率がいい。必要だと思ってやってるんだから。だが他の全員も揃って笑顔筋トレをやるのは意味がわからない。

他の顔筋トレも、何に役立ったのかわからない。例えば、臭いものを嗅いだ時のように鼻を上に上げる筋トレがあった。あれをずっとやってきてよかったと思った役者が1人でもいるのか疑問だ。

舞台上で変顔をする役者が、変顔不得意だから、あらゆる顔の筋肉を柔らかくするために表情筋トレをするのなら効率的だ。ただそれは1人で個人練の時間にやるべきだ。みんなでやるのは効率悪い。

・筋トレ効率悪い

筋トレに関しても似たことが言える。
自分の役の中に、3人でダンスするシーンがあった。3人のうちの1人が、ダンスシーンで体力が持たないから筋トレを3人だけ増やそう、と言い出した。そのとき自分は反対してこう言った。「踊り続ける体力をつけたいなら筋トレではなく走り込みの方が効率いい。腕立てして腕の筋肉つけても体力とは関係ない。もっというと、ダンスで体力持たないなら、そのダンスを何度も繰り返し練習して体力つけるのが最も効率的だ。繰り返し練習して、息切れしなくなったらノルマクリア。目標も明確だからその方がいい」と。結局、ダンスシーンは間延びしているということで大幅に短くしてこの体力問題は解決したわけだが。

つまり、腕立てが何の役に立ったのか言える人いますか?ということ。何かを持ち上げた?何かを押したりした?ほとんどしてない。大胸筋や上腕三頭筋が必要な理由がわからない。役作りとしてマッスルボディが必要なら話は別だがそんなわけもなかった。腕立ては不要だ。
腹筋と背筋は腹式呼吸と密接な関係があるから必要だ。
ふくらはぎについては△だ。あまり必要ではないと思うし、ふくらはぎを鍛えてふとももを鍛えないのは疑問だ。なんのためかイマイチわからない。

胸、腰だけを動かすアイソレーションという体幹を鍛えるストレッチは腹筋、背筋と同じぐらい重要だ。体幹は自然な状態で背筋を伸ばしたり姿勢をよくしたり、片足立ちなどでバランスをとる際に必要になる。

・闇練は強制すべきでない

闇練は夜の9時から11時、12時までやる練習のことを指す。いいものを作るために必要だと思う。常識ハズレの練習量があるからこそ常識ハズレのいいものが出来上がる。ただそれは、本人たちが意欲的に取り組めた場合の話だ。いやいややらされる常識ハズレの練習量なんてただのブラック企業だ。常識ハズレの練習量が、劇むさでは常識となっている。これが伝統の力だ。「当たり前でしょ」という空気が出来上がっているからだれも文句を言わずにやっている。というか文句を言いながらもやっている。

本番1ヶ月半前ぐらいから、週7毎日9時から23時までの練習が続いた。24時間、寝るか練習かの毎日が1ヶ月半も続くと、モチベーションを維持しろという方が難しい。さらに、本番が近づくとたまにオールナイト闇練というのがあった。朝の4時まで外でやった。あれは引いた。やる気の問題だけでなく体調不良も実際に出ていた。それでもこの制度に作演、制作、役者長など上の人たちは何も疑問を持たない。どうかしている。

闇練そのものは悪い伝統ではない。悪いのは、明らかに役者の士気が下がっているのにそれに目をつむり、「これさえやっておけば私たち最後には頑張ったと言える」という免罪符のように闇練を続けていることだ。常識ハズレの練習量は意欲的に、自発的にやるべきだ。上の人はそういう空気作りを目指すべきだ。

・声が小さいことの指摘が足りない

声が小さいことの指摘をしたりしなかったりだったのが気になる。声が小さいだけに限らず、体が小刻みにゆれる癖だとか、体の重心が傾く癖だとかは、ことあるごとに指摘されないと意識するのを忘れてしまう。

あるあるだったのが、あるシーンを練習し、それらを指摘し、またそのシーンをやり、また出来てない。また指摘しまたシーンやり、またまた出来てない。役者は「注意します」というが一向に治らないから指摘する側ももう指摘しなくなる。これがよくない。

ただもしこの役者が、意識してるんだけど治せないのなら、口うるさく指摘を繰り返すのは無意味だ。だが、もしこの役者が忘れっぽいだけなら口うるさく指摘を繰り返すべきだ。

特に声小さいことに関しては、自分含めみんなが忘れっぽかったように思う。第一回企画外までよく言われていたが、その後一時期全く指摘されない時期があった。本番直前でまた指摘され始めた。声小さいうちはずっと指摘し続けるべきだ。

・役者のモチベを維持する工夫が足りない

そもそも、役者のモチベについて気を配りなんらかの対応を試みた上の人(作演、制作、役者長、その他劇むさベテランメンバー)はいたのだろうか。やばい空気をどうにかしようとしていたのだろうか。全員、目をつむるか、やる気あるべきだという正論を振りかざすかのどちらかだったように思う。

例を上げるなら、ある役者の不満がヤバイということで急遽開かれた会議で、自分は作演にこう言った。「これもう、これからは気持ち切り替えて頑張ろう!みたいな精神論では解決しない。作演の目の前には3つの選択肢があってどれか選ばなきゃいけない。1.戯曲書き換える。2.なんの手も打たずにこのまま明日からまた練習始める。3.戯曲書き換えずに不満あるやつを説得する。どれかを選ばなきゃいけない」と。
結局、このあと自分は作演の頭を整理するために2人で徹夜で会議した。会議中は色々と問題が解決されたように思えたが、後から見れば結局何も変わっていない。結局、不満を持っていた役者自身がモチベを取り戻すことでこの時は何かが回復したように見えたが、作演がとったのは結局2だったと言える。

役者のモチベが低い時は上が何か手を打たなければならない。その上がボンクラだったなら周りが支えなければならない。その支える仕組みが全くないのが現状だ。上が、上で固まってる。下は、下で愚痴を言い合う。戯曲会議やれ。

・作演が11人さばけてなかった。オーディションすべき。

この話は前の芸祭公演の反省会でも出たそうだが反映されておらず同じ過ちを繰り返している。

劇むさの戯曲の進め方はこうだ。戯曲がまだ制作途中の段階から役者の募集が始まる。初めから何人集めるか決まっておらず、オーディションもやってないので集まっただけ受け入れる。そしてしばらくすると役者募集のポスターも剥がして受け付けなくなる。今回はそうやって11人で決定。それから戯曲は11人出るように書かれていく。

つまり戯曲が出来上がって、役も登場人数も決まってから集めるわけではない。これがおかしい。

でもこれはおかしいけども仕方ないとも思う。なんなら11人集まってから戯曲総書き換えもあるくらいだから仕方がない。

だったら、戯曲が完成しないうちに役者を集めるならせめて、「多くて8人」ぐらいは決めて、9人目からはオーディションして演技うまいとか魅力あるとかキャラ濃いとかの判断基準でふるい落としていくべきだ。勇気がいることだが、11人集めて出番が極端に少ない役が出るよりマシだ。

捕捉・作演が1人でやるメリットなんてない

作演が1人でやるのが当たり前なのは、作演が作・演出のプロだった場合だ。数回劇むさで舞台をやったことがあるくらいの素人に、なんで言いなりにならなきゃならないのか納得できない。別に尊敬もしてない人間に命令されてやりたくもない演技をやるのは苦痛だ。
でももし作演に優秀な人がついた場合は1人でやってもうまくいく。みんなが尊敬してついていくからだ。不満を抱かないからだ。

今回はそうじゃなかった。不満ありまくり。権力を一箇所に集中させるというのは素人団体がやることではない。作演になった人の力量によって、毎回作るもののクオリティが左右される。そうならないために作演に意見を言える仕組みに変えるべきだ。作演は大量の意見を聞き、取捨選択し、最終決定を下す。最終決定権は作演が1人で持っていてよい。

それをやるには作演は最初にやりたいことの軸を決めなければならない。最終目標は何か、喜劇なのかどうか、舞台全体の雰囲気はどんなのを目指すのか、など。そこさえぶれずにいれば、みんなで戯曲を考えたとしても少なからずその作演独特の色が舞台に反映される。

自分の演出に絶対の自信を持っている作演などいない。30人もの美大生の貴重な時間を割くということの責任感とストレスは尋常じゃない。不安でいっぱいのはずだ。それなのに今の劇むさは「作演とはそういうものだ」「それに耐えるべきなのが作演だ」「作演以外の人間が演出にあまり口を出さない方がいい」という考えで固まっている。しかし作演がどんな人かによってこれらの考えは柔軟に変えるべきだ。「作演がこうあるべき」「舞台作りの進め方はこうあるべき」などというべきべき論は素人団体がやる分にはただの思考停止だ。今回はどうすべきかなんて見れば誰でもわかる。今回はその時に伝統やべきべき論が邪魔をしていた。長年続いてきた伝統に甘えて組織がどうあるべきか誰も真剣に考えていないのが劇むさなのだという印象を受けた。

捕捉・前回、反省だけして変更事項がなかった。今回はそうするな。

最後に、今回の反省会が果たして有意義なものになるかどうか不安で仕方ない。有意義かどうかはつまり「何かが次から変わるかどうか」だ。誰かが反省会の議事録を書くだろう。あるあるなのが、そこには「こうした方がいい、という意見が出た」みたいなのが大量に羅列されるが、「次からこうすることに決定した」ということが全く書かれていないというやつだ。この場合、結局次からどうなるかがいつどのように決まるかというと、いつのまにかこれまで通りにやっている、のだ。上の人が少ないほどそうなりやすい。劇むさの場合、作演と制作が「まあいいか」となっていたときに他の誰かが「いや変えよう」と言うのはハードルが高い。

反省会で焦点を当てるべきなのは、「何がいけなかったか」ではなく「次は何を変えるべきか」だ。不毛なお通夜はもうごめんだ。