月別アーカイブ: 2014年7月

本質じゃないことが本質より目立つ話

今日、クラスのみんなでバスケする夢を見たんですが、すごく張り合ってていい試合だった。人生で一番楽しいバスケの試合だった。ガストンです。

今日、web制作会社のバイト先の大先輩がこう(いうかんじのことを)おっしゃってました。「本質を見抜いてる人が少ないが、本質じゃないところの方が目立つことが多い」と。もうスーパー同感したのでそれについて詳しく書く。

(ちなみに、今日のバイト先の勉強会である先輩の発表を聞いてて、やっぱ具体例を出すと途端に話がわかりやすくなるなあと思ったので僕も今回具体例から書く。

本質じゃないとこが目立つんだよなあと思う思い出話いくつか

美大のイメージ

僕は現役美大生ですが、こないだ美大とか行ってないwebデザイナーの友達に「ここのデザイン、どう修正すればいいと思う?美大生的な視点で言えば。」と聞かれて困ってしまった。美大で学ぶことはwebページデザインをしているときに現れるものではないと思う。そんなわかりやすく目に見えて違いがわかるようなことは基本的に美大では学ばないし、学ぶべきではない(独学で学ぶべき)。美大というものに憧れた時期が少しでもある人や、なにかしら美大生に対するイメージがある人は美大生の友達のちょっとした仕草やスキルや服装をすぐに「美大だからこそ」だと考えがちだが、これは全くナンセンスだ。美大で学ぶということの本質よりも、美大に対するハチクロ的な偏ったイメージが目立っている。

「やっぱサークルに入った方がいいかなあ?」

美大で、サークルに入った方がいいかどうかを人に聞いている人を見ると、「それを人に聞いているようでは、サークル入ったところで友達作って終わるよ」と思う。そもそも、「方がいいかなあ?」という質問の意味がよくわからない。それは「何的に『いい』」のかを自分で決めてるのか不安になる。サークルに入って何がしたいかが最重要なのに、そこを人に委ねてしまっては自分の満足する結果は得られないはず。

「人脈広いのすごいなあ」

僕はよく学校で、人脈広いね、すごいね、と言われる。そう言う人はおそらく、人脈が広い=「コミュ力高い」「人望が高い」「仕事が回ってくる」という関連づけを頭の中でしているのだろう。その関連づけは正しいし素晴らしいことだが、人脈が広いからそうなるのではない。コミュ力が高く、人望が厚く、仕事ができるから仕事が回ってくるようになり、それが連鎖して人脈が広がるのだ。これを勘違いして「人脈が広いこと自体が財産」だと思っている学生は多い。以前、ある医学部学生が「全国の1000人の医学生と繋がろう!」というイベントを主催しているのをそばで見ていて呆れたものだ。繋がって何をするかよりも、ただ繋がりたがっているようにしか見えない。

とまあ具体例はこんな感じである。どれも、人によってはぐさっとくるようなコアな話だ。

本質はなぜ目立たないか

じゃあなんで本質は目立たないかというとそれは言わずもがな、難しくてわかりにくいからだ。じゃあなんで本質が難しくてわかりにくいかというと、本質を理解するには経験と考察が必要だからだ。つまり「現状を知るための経験」と「本来どうあるべきかの考察」だ。例えばある優れた広告に章を与えるコンテストがあるとする。ここで金賞をとれば業界で有名になりたいからと言って、このコンテストの審査員の好みの傾向を分析するのはコンテストの設立者の意に反するだろう。『そういうことじゃねえんだよ』と。どうすればこのコンテストで金賞をとれるかと考える人は多くても、「今の広告業界に必要なのはこういう特異な作品をきちんと評価する新しい評価軸だ」といったことを考える人は少ない。

僕は過去に、大学の教授に「うちの大学の受験生をもっと増やすための企画」を提案したことがある。ざっくり説明すると、学生の活動を高校生が知るきっかけを増やすためのイベントの提案だ。すると教授は(僕の頭のなかで理解できたとこだけ翻訳するとだいたい)次のようにおっしゃった。「そんなんでウチに来たいと思うようになるような高校生が、たくさん受験してくれるようになったところで大学にメリットない。確かに少子化で入学希望者の低下は問題視されてるけど、だからって生き延びるために高校生ウケするPRしたって意味ない。ウチは「真に人間的自由に達する美術教育」ってのを掲げてやってる。ウチを卒業した学生が日本をどう変えてくれるか、には関心があるが、受験生を確保して生き延びたいわけじゃない。それだったらおまえ(僕)がウチ卒業してすごいクリエイターになった方がよっぽど大学のPRになる」と。

業界や、大学や、コンテストなど、あるものの本質を見抜くためにはまずその中に入り、現状を把握し目指すものとのギャップを理解し、そもそも何のための大学か、何のための教育か、何のための組織で、本来何をするために僕らは今これをしているのか、を考察しなければならない。

サークルでの頑張りと報酬は比例しない

こんにちは!中学生の頃、「今日食べた野菜、ラーメンのネギだけかも、、、?」という野菜ジュースのキャッチコピーを見て、「そんなにやつさすがにおらんやろ」と思っていたガストンもすっかり大人になって、昨日食べた野菜は野菜ジュースだけです。ガストンです!

今日は、みんなでものつくるサークルに所属しているものの、あまり意見言わないし、課題を理由によく休む人を「効率くん」と呼びましょう。効率くんは、サークルに時間を捧げて学生としての本分(課題)をおざなりにしてはいけないと考えていたり、何も考えていなかったりします。そして、効率くんとは逆で、サークルに24時間と数ヶ月を捧げ、課題は手を抜いて提出し、授業は単位を落とす限界までサボる人を「熱中くん」と呼びましょう。熱中くんは、学生のうちはやりたいことを全力でやるべきだと考えていたり、何も考えていなかったりします。みなさんは、どちらかといえばどちらですか?今日は、効率くんは実は効率が悪く、熱中くんは実は自分に酔ってるという話です。あっごめん泣かないでっ

効率くんの頑張りは時間に比例しない

例えば、4ヶ月かけて一つの舞台を作るサークルに効率くんと熱中くんが入ったとします。効率くんがサークルに捧げた時間(家での自主練を含む)は、熱中くんがサークルに捧げた時間(昼食を食べながら当日スタッフの準備について考える時間を含む)の3分の1だったとします。このとき、効率くんが最終的にサークルを通して得たもの(満足感、達成感、人望、人脈、スキル、自信など)が、同じく熱中くんの3分の1手に入ると思ったら大間違いです。残念ながら、10分の1ぐらいしか得られないことが多いです。時間と頑張りが比例しないとはこういうことです。

僕の経験で言えば、舞台などの「本番」があるものをつくるサークルの場合、メンバーの1割が最初から全力で頑張り、6割が本番が近づくと頑張り、2割は本番当日だけ頑張り、1割は最後まで頑張りません。で、6割の本番が近づくと頑張る人の終盤の頑張りは、最初から頑張る1割の人の初期の頑張りに劣る場合が多いのです。自発的な頑張りじゃないからです。ここでいう効率くんというのがこの6割にあたる人です。ちなみに、本番だけ頑張ったり最後まで頑張らないのはただの「サークル入ってみたかったから入ったものの思いの他しんどくてでもやめる勇気もない」くんです。ここではこの人については割愛します。

僕は何もここで効率くん(課題を理由に練習を休みがちだけど、本番が近づいたらちゃんと頑張る人)をフルボッコにするつもりはないです。安心してね。ただ、効率くんにありがちなのが、自分のやり方は熱中くんのそれに比べて効率がいい、と勘違いしていること。実際はすごく効率が悪いです。効率くん的な参加の仕方で3つのサークルに入るくらいなら、熱中くん的な参加の仕方で1つのサークルに入った方がずっといい経験になったと自分自身が自負できるはずです。熱中くんは効率くんの何倍も団体のことが見えています。効率くんが「どうやったらサークルのみんなに嫌われずに済むか」を考えている間に熱中くんは「どうやったら舞台がよくなるか」を考えていたり、嫌われることを覚悟で「もっとちゃんとやってよ」と周りにお願いしたりしています。自分がサークルに入った目的が「友達をつくること」ではなく「いいものをつくること」であるなら、熱中くんが正しい。

舞台が完成した打ち上げではどうしても「みんなよくここまで頑張った」という雰囲気が醸し出るから効率くんが反省と後悔をする余地がない。途中からしか頑張らなかったのにそれを責められることはない。熱中くんからすれば「ふざけんな。お前が最初っから頑張らなかったせいでどれだけ本番のクオリティが下がったと思っているんだ。おれはあれで満足してないぞ」という心持ちなのに、そんなこと言える空気でもないことが多いので言えない。最後だけ頑張ればいいムードになるから効率くんは誤ちに気づかない。

熱中くんは酔って課題をやろうとしない

効率くんが心の中で泣きそうになっているので話は変わって熱中くん。熱中くんにありがちなのが、「課題や授業をおざなりにしてまでサークルに打ち込んでいる自分に酔っている」という現象だ。美大生の中には少なからず「やれ、と言われたことをおざなりにしてでも、やりたい、と思ったことを突き進むことが美徳」という考え方がある。これはこれで正しいかもしれないが、そもそも美大生は授業料を払って大学に来たくて来ているわけだから、どちらかというとこの考え方は「やりたい、と言っていることをおざなりにしてでも、やりたい、と思ったことを突き進むことが美徳」という風に言い換えることができる。日本語としておかしいが、人としての成長途中にある大学生の頭の中なんて基本的に日本語にすればおかしいものだ。結局は、どちらかに縛られているとどちらかに憧れる、という心理に振り回されている人が多いのではないか。

さらに、熱中くんはこのように勘違いしていることが多い。「学生のうちにしかできないことを全力でやることは正しい」「自分が将来舞台の道に行かなかったとしても、サークルでの頑張りは自分のためになっている」と。残念ながらそれは「よく言われていること」というだけであって「真実」ではない。もちろん、自分が後々そうだと確信できればその時真実になるが、疑いなく「サークルまじで間違いなかった」と誇れるというのは、なかなか難しいのではないか。少なくとも、自分は大学2年生のときに完全なる「熱中くん」だった。デザイン科にいるにも関わらず舞台に夢中だったし、それを間違いだとも思っていなかった。そして、今、自分のデザインレベルには自信がない。後悔はしていないが反省はしている。サークルでは人の動かし方やスケジュールを上手く回す方法などを学んだ気になっていたが、それも、結果を出さなければ報われない。結局は「社会人になってどれだけ上手く行くか」が勝負だ(間違っても内定を取れるか、ではない)。

結局のところ、効率くんと熱中くんのどちらが正しいのか、という結論は簡単なもので、「課題をちゃんと出す熱中くん」が正解だ。ここで言う正解とは「自己満足できるか」だ。だから、そういう意味では効率くんも、「おれは友達増やすためだけにサークルに入った」と言い張るなら、サークルをある程度サボっても正解だ(逆に嫌われそうだが)。あるいは、「サークル入ってみたかったから入ったものの思いの他しんどくてでもやめる勇気もない」人が勇気を出してやめて、気分スッキリあーよかったと思ったならそれも正解かもしれない。

もちろん、その答えが5年後も「正解だった」と言えるかは別だが。

学生演出家は70%を目指せ

こんにちは!おしっこって我慢し続けたら何回でも引っ込むよね!ガストンです!

実はここ最近、学校で演劇やってました。自分で作・演出した演劇やりたくて、演劇サークルを卒業して知り合い集めてやってました。もうそれはそれは面白い演劇ができまして人気も上々で大好評でした。演劇最高。で、演出っていうまとめ役をやってて思ったのは、他人に100%を求めてカッカするなってこと。以下、学生が集まった団体で人を動かす際に大事な心がけを書く。

100%を求めるな

まず、上に立つ人は、「自分がやるべきことを全力でやればいいものができる」という幻想を捨てるべき。上に立つ人が自分の全力を出すのは当たり前であって、その先、つまり「みんなのモチベーションをいかに持続させるか」に気を配らなければならない。

例えば僕は今回、自分が演劇の演出をやって、役者をやっている友達に対して指示を出すとき、たくさん妥協した。妥協したと言うと聞こえは悪いが、僕は「見事70%の完成度を叩き出した」と思っている。ミュージカルシーンの練習では、練習開始から間もなく「こいつの音痴を完璧に治すことは無理そうだ」とさじを投げた。そしてすぐに70%を達成するための目標を立てた。じゃあせめて音の入るタイミングだけは練習してできるようになってもらおう、と。こういった建設的妥協を何度もした。もちろん、ここだけは妥協できない、と思ったらいくらでも強く言ったし、時にはケンカになっても演出として自我を通した。しかしその結果、メンバーの誰かのメンタルがやばい、とか、あいつが休みがちになった、とかのメンタル問題も起こらず(←奇跡)、打ち上げではかなりうまい酒を飲めた。お前おれあのとき腹立ったぞ、その節はまじでごめん、なんていうやりとりさえできていた。団体全体が健康的に終わることができたと思っている。

もちろん、演出は妥協なんてすべきじゃない!という意見もあると思う。みんなのメンタルを維持できるなら、妥協すべきでない。だが演出が言いたいことを言って、みんなのメンタルが削れていくと、結果できあがるのは40%の完成度だ。これは客観的に見れば誰が悪いという問題ではないが、演出として主観的に見れば自分が悪いと反省できる問題だ。演出の頭の中には100%がある。だからどうしてもそれを実現したいと思ってしまう。だが、演出が分身して作っているのではなく他人が集まって作っている以上、100%は難しい。本当に人を使うのがうまい人は、他人のいいとこを活かして100%どころか120%を達成するのだろうが、そんなことができる学生は見たことがない。学生の演出はせめて、70%を目標に掲げた方がうまくいくことが多いのではないか。

学生が給料の代わりに欲しているもの

そもそも、ここに書いている話は学生限定、つまり無給で時間と労力を提供している人を使って何かを作り上げようとする団体向けの話だ。学生が給料の代わりに何を求めて団体に属しているか、上に立つ人は考えなければならない。

人によって、求めるものは異なる。スキルの上達や人脈など、人それぞれだが、じゃあこいつはなんだ、というのはだいたい見ていればわかる。意見をよく言う人の意見はちゃんと聞いた方がいい(採用するかは別)し、ものを作りたい人にはたくさん作らせてあげた方がいい(締め切り守ることは別)。その人がいきいきすることを「ある程度」やらせてあげる。全体の完成度が70%を下回らない程度に。

何をしないか、だけ決めておく。

これはもはや演出だけの話ではなく学生全員に対して言いたいことだが、自分はこの団体に貴重な時間を捧げて、何を一番「したくないか」だけはしっかりと決めておいた方がいい。ガストンのこの記事を読んで「何言ってんだ!妥協はだめに決まってんだろ!」と思う人は「妥協だけはしない」ときめるのでもいいし、「ギスギスした空気にだけはしない」でもいいし、「人に迷惑をかけない」でもなんでもいい。ただ僕の場合は「人に迷惑をかけてでも無駄な時間を過ごさない」を心に決めていた。

ぶっちゃけ、演出が「何をやりたいか」がはっきりしていない団体が9割だ。学生なんてそんなもんだ。演出以外が、「演出は演出のくせにやりたいことが決まってない!私たちはどこを向いて頑張ればいいかわからない!プンプン!」と怒るのは簡単だ。でもそれじゃあ全体の作品はよくならない。そんなプンプン平社員に、全体をよくするためにできることは2つだ。1つは、演出ととことん話し合い、演出が何でつまずいているのか、何をやりたいのか、引き出してあげること(←クソむずい)、2つは、「演出下りろ、おれが代わりにやる。」と名乗り出ること。このどちらもやる行動力がないなら、つまらない作品を作ってしまった責任を演出に丸投げしたいだけのプンプン平社員のままだ。