月別アーカイブ: 2015年5月

LINE@がやりたくてしょうがないのであなた!あなたかまえ私を

こんにちは!先日、ダイヤモンド・ジョズ(ONE PIECEのキャラ)は鼻くそもダイヤモンドだということに気づき、あくどい商売を思いついたガストンです!

LINE@を知っていますか!?赤の他人とラインができてしまうシステムです。例えば美容院の人や、飲食店の店員さんなど。「赤の他人の知り合いがたくさんいる人」がビジネスに使えると便利なツールです。
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1秒のやる気出す方法

暮らしのヒント
ヒント,やる気

こんにちは!じゃがいも?のことを?馬鈴薯?って言うの?知らねーよ‼︎なんだそれ!馬の遺書か!ちがうか!じゃがいもか!ガストンです。

最近ものすごく役立つやる気出す方法を見つけてしまいました。しかも1秒で。こういうのを見つけるのが本当にガストン君は得意だよね〜。ふ〜んそうなんだ〜

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デザインが怖い

こんにちは!ダジャレを考えるのが大好きです!もう点も打てん、というダジャレが今もっともアツイです。ガストンです!

さっきめっちゃおもろいことがあった。デザインが怖い理由がわかった。もっと言うと、デザインの課題をやるやる気が起きない原因がわかった。

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笑いの話

こんにちは。5秒間の暗転の長さを知りたければ、今すぐ目を閉じて5秒数えてみればいい。きっと思ったよりずっと長いだろう。ガストンです。

僕は大学で喜劇をやったことがありまして、そのとき脚本を書きまして、エンターテイメントというものについて思うところがある。

安心感が笑いにつながる

まず笑いをとるには安心感が何よりも大事です。まず場所の安全。舞台で喜劇をやるときは、受付の親切さ、手際の良さや、お客さんの誘導係の人がしっかりしているかどうかや、客席がしっかりしているかや、舞台がボロボロではないかなど、あらゆる「この劇団しっかりしているな感」が笑いにつながります。安心できないと人は笑う準備ができません。

ディズニーランドは安心ですね。劇団四季も安心ですね。こちらが完全なお客さんになることができます。また、何年か前にブルーマンショー(肌を青く塗った3人組のパフォーマンスショー)を見に行った時も、初めてだったけど、ものすごくたくさんの人たちが見に行ってたし、人気だったし、劇場も大きかったし、受付もちゃんとしてたので「プロだな」と思いました。規模のでかさは安心感につながります。「プロだな」と思わせることは安心感につながります。とにかく「ちゃんとしてる」と思われることが安心感につながります。

ブルーマンショーはお客さんの中から数人をステージにあげたりしていたので別ですが、そういう参加型ではないショー、お客さんが参加しなくていいショー、もっと言うとお客さんが「開演から終わりまでただ席に座っていれば無事終わるショー」の場合、お客さんに「開演から終わりまでただ席に座っていれば無事終わるショー」だと事前に理解してもらうことが何よりも大事です。「参加型じゃないと思ってたら参加型でした!びっくり!」みたいなのは絶対にやってはいけません。参加型をやるなら参加型をやると、もっというとその内容まで(例えば、濡れる可能性があるとか、前の方に座ってるとステージに上げさせられる可能性があるとか、途中で手拍子を求められる演出があるとか)を具体的に事前に伝えておく必要があります。

「最初から何が起こるかわかってたらつまらないじゃん!」というのは自分勝手なエンターテイメントです。お客さんの気持ちを予期できていません。驚きはエンターテイメントの一部ですが、「気持ち良い驚き」と「ただの驚き」は違います。安心できる、予想できる範囲内の気持ち良い驚きを計算の上で演出するのがエンターテイメントです。

なぜ安心感が笑いに必須なのか、という問いに対してうまく答えることはできませんが、人類の「笑い」の起源に迫るあるお話があります。人類の祖先となる、ある猿が、新しいグループに入るとき、グループのボスに対して「へつら笑い」をしたのが人類の笑いの起源だと言われています。これはつまり「私はあなたよりも下ですよ。私を仲間にいれても危害はありませんよ、えへへ」という意味です。もともとは面白いから笑う、とかじゃないんですね。コビーがアルビダにやってたやつですね。笑い声は「えへへ」ですね。これが笑いの起源だそうです。

つまり最初は、笑うという行為は「自分にとって安心できる場所」を獲得するための技術だったわけです。これが後に転じて、楽しいとき、おもしろいとき、嬉しいとき、そして、ほっと安心したときに笑みがこぼれるようになったのです。

安心感は人間が笑うための土台として最初に必要な大前提なのです。

好かれることが第一。嫌いな人に何をされても笑えない

笑いをとりたければ安心感とおなじくらい大事なのが「相手に好かれること」です。これはクラスのおもしろい男子が笑いをとるのも、舞台で役者が笑いをとるのも全く同じです。

クラスで嫌いな男子が面白いことを言ったとしても笑えません。全然笑えません。むしろ「笑ってやるか」と思って意地でも笑いません。笑ったらなんとなくそいつに心を許したみたいな感じになります。さっきの猿のように。だから意地でも笑いません。

また舞台の役者も同じです。映画のキャラも同じです。好きなキャラクターが面白いことをしたら笑えます。でも嫌いなキャラが面白いことをしても笑えません。大事なのは「敵キャラ」とか「冷静なキャラ」ではなく、「嫌いなキャラ」です。演出の意図として、別に嫌われてほしくないキャラがお客さんに嫌われてしまった場合、もうそのキャラは何をしても笑いがとれません。どこかでお客さんが「わらうまい」とブロックをかけてしまうのです。

クラスで、というか人生において常に、友達と話していて笑いをとりたい人はまず友達に好かれているという土台を作ることが何より大事です。

喜劇の脚本を書く時は、「いかに早い段階でこのキャラを好きになってもらえるか」を念頭に置いて書きましょう。お客さんに好きになってもらえる前に笑いを狙ったシーンを書いても効果は半減です。ちょっとおっちょこちょいなところがある、だとか、ただのバカ、だとか、偉そうなところ言っといて実はものすごく人間の器が小さい、だとか、人間としての魅力をガンガン描いていきましょう。「人間として未完成」なほど人間としての魅力は増していきます。「このキャラが現実にいたらきっと楽しいだろうな。友達になりたいな」そう思ってもらえるのが魅力的なキャラクターです。好かれるキャラクターです。笑ってもらえるキャラクターです。

予想できることが笑いにつながる

これは安心感と似ている部分もありますが、「予想できる」というのは笑いにおいてとてもとても大事なポイントです。例えば、強面の借金取りがやってきた。すごく怖い。そいつが急に変顔でバカバカしい振る舞いをした・・笑えますか?面白く無いですね。笑いをとろうとしているのが見え見えな分、滑ってる感じになりますね。面白いかどうかよりも「えっ?何?」ってなりますね。

予想外すぎることは笑えません。予想できればできるほど面白いのです。

キャラクターを描くときは、「こいつはこういう性格だな」とお客さんにいかに早い段階で理解してもらうかがとても重要です。これは「キャラを好きになる」ことにもつながります。

漫画ONE PIECEを読んでいると、「次にウソップがこう騒ぐだろうな」とか、「ナミはこれに反対するだろうな」とか全部手に取るようにわかります。予想通りのことをキャラがやってくれると人は安心感を覚えます。安心感は笑いにおいて大事です。例えば現実世界で大事な親友が急に「10万貸してくんない?」とか言ってきた日にゃ絶望です。最悪です。その子のことが何も信じられなくなります。少なくとも、「あのさ・・こんなことお前にしか相談できないんだ。本当にこんなこと・・本当は言いたくないんだ。でも、もうおれどうしたらいいかわかんないんだよ・・」みたいな長々とした前置きを入れてほしいものです。その方がまだそいつのことを信じられます。

「こいつならこういう状況下でこういうことがあった場合、こういう振る舞いをするだろうな」と予想できることが、予想通りに起こるたびにその人に対する安心感は増していきます。

喜劇の脚本を書く時、例え面白いシーンを思いついても、それが少しでもお客さんにとって「予想外」だったら面白さは半減します。「違和感」が先行してしまうからです。どうしてもそのシーンをやりたいなら、その壁を乗り越えるために必要な助走を前のシーンでつけておく必要があります。つまり、そのキャラがそういう行動をとっても不思議ではないな、とお客さんが理解できるような、別のシーンを新たに加える必要があるのです。ムリがなければ加えてもいいでしょう。

例えばここにある男がいます。そいつは、おどおどしていて、すごく人見知りで、人と喋るのが苦手で、自分の意見を主張するのが苦手で、ものすごく泣き虫だとします。
また、ここにある美容師がいます。こいつはすごく楽観的で、ものすごくバカです。しかもあろうことかおしゃれにうとく、「ツーブロック」という髪型の存在を知らないとします「んー・・ブロッコリーみたいな髪型のことかな?」とか思ってます。
おどおど男が、おしゃれな友達に「お前もツーブロックにしたらかっこよくなるのに」とか言われて、かっこいいツーブロックが自分に似合うか半信半疑になりながらも美容院に行きます。そしてなんとさっきの美容師が担当に当たってしまいました。男は「ツーブロックでお願いします」と言います。鏡を見ながら、どんどんブロッコリーみたいな髪型になっていくのを見ながらも、気弱な男は何も言い出せません。しまいには泣き出してしまいました。美容師は「いやー泣くほどかっこいいツーブロックになるのが嬉しいのか。この仕事をしていてよかったなあ」とか思っています。

はい。面白いですね。なかなかおもしろいですね。面白いです。
このお話で、いかに最初のキャラ説明が重要かわかりますか。例えばこのお話で、気弱な男が泣き出すシーンと、バカな美容師が「感謝されてるなあ」と勘違いするところは笑いのシーンです。笑ってほしいシーンです。ですが、このシーンで笑うためには彼らがどういうキャラか事前にお客さんにわかっていてもらうことが必須条件です。試しに最初のキャラ説明を抜きにしていまの話をもういっかい見てみましょう。

ここにある男がいます。おしゃれな友達に「お前もツーブロックにしたらかっこよくなるのに」とか言われて、かっこいいツーブロックが自分に似合うか半信半疑になりながらも美容院に行きます。男は「ツーブロックでお願いします」と言います。鏡を見ながら、どんどんブロッコリーみたいな髪型になっていくのを見ながらも、気弱な男は何も言い出せません。しまいには泣き出してしまいました。美容師は「いやー泣くほどかっこいいツーブロックになるのが嬉しいのか。この仕事をしていてよかったなあ」とか思っています。

ね。どうですか?何もかも急すぎて、笑えなくないですか?全然さっきの方が面白くないですか?まず「ブロッコリー」っていう単語が出てくるのが急すぎませんか?さっきのキャラ説明ありのお話だと、

「んー・・ブロッコリーみたいな髪型のことかな?」とか思ってます。

の一文があるおかげで、こいつが「ブロッコリーみたいな髪型に仕上げる」という予想がつきます。もう100%こいつは「ブロッコリーみたいな髪型に仕上げ」ます。間違いありません。

そうやってお客さんは予想できちゃうんだけど、予想出来ちゃった上で予想どおりのことが起きるんだけど、笑える。予想できた方が笑えるんです。予想できたら、予想できた瞬間に笑えるんです。たとえばこれを舞台か映像でやるならば、気弱な男が、友達にツーブロックを進められて美容院に行き、そこにさっきの美容師がいた瞬間に、お客さんは「この男はこの美容師に髪を切られる」ということと「ブロッコリーにされる」ということと「途中でやめてとは言えずに完璧なブロッコリーになる」ということが簡単に予想できます。

これくらいがっつり予想させることが大事なんです。

・・・おっと。今の脚本に少しミスがありました。気弱な男の年齢を書いていませんでしたね。中学生くらいが一番おもしろいでしょうか。少なくとも、「大人の男」だと思われるとまずいです。なぜなら「大の男が泣くんじゃない」とお客さんに「嫌われて」しまうかもしれないからです。覚えていますね?嫌われると笑ってもらえません。お客さんはキャラ紹介の時点で「いや、大の大人がおどおどしてんじゃねーよ、しっかりしろ」と思ってしまうかもしれません。そうなるとお客さんはもうそのことが気になってしょうがなくなってしまいます。嫌われるとアウトです。もっと言うと、共感してもらえないとアウトです。中学生にしておけば「おどおどしてて泣き虫な男子中学生いるよねw」と共感してもらえる可能性が高いです。これが笑いにつながります。

脱線しますが、「共感できないとそればっか気になっちゃう」というのは喜劇以外でもありますね。僕は魔法少女まどか☆マギカを見ていて、まどかの「全部守りたがる平和主義」なところがどうも共感できず、見ていて不快に思ってしまいました。また、こないだ友達が「デート ~恋とはどんなものかしら~」を見ていて、「主人公のニートがなよなよすぎて不快だった」と言っていました。まどかの件もデートの件も、他の人からすれば「そこは物語において注目すべきポイントでもなければ大事なとこでもないないよ!」と言われるようなことですが、これが人によっては物語を楽しむ上で大きな弊害となります。とはいえ、個性的なキャラを書こうと思えば万人に好かれるというのは難しいので、割りきって「ターゲット」を決めて書くしかありません。

へりくだれ。自尊心を捨てろ。相手を持ち上げろ。

笑いの話に戻ります。笑いは安心感・好意(好きになれないと笑えない)が大事だと言ったことに繋がりますが、エンターテイナーとして誰にでも笑ってもらいたいのなら誰よりも「下」になることが大事だと思います。世の中の大抵の男は自尊心が高く、持ち上げてもらうだけでいい気分になります。舞台が終わって、役者が外にでてお客さんがぞろぞろと出てくるタイミングでは、ただただ「見てくれた」「見るために時間を割いてくれた」「お金を払ってくれた」ことに感謝し、ひれ伏しましょう(←?)と言うと語弊がありますが、絶対に失礼な態度はとってはいけません。一人ひとりに感謝する気持ちを心の底から持つことができれば一人前のエンターテイナーです。知り合いも友達も親友も赤の他人も、すべてのお客さまに対して最高の感謝の気持ちが持てればエンターテイナーです。常に一人でも多くのお客さんが見に来てくれることを願えれば立派なエンターテイナーです。客席数と、公演回数を決める段階で、一人でも多くのお客さんに見に来てもらいたいと心の底から願えれば立派なエンターテイナーです。帰り際のお客さんの満足そうな顔を見て、最高の喜びを感じることができ、握手してください、写真撮ってもいいですか?のひと言ひと言に全部対応してあげたくなる気持ちが湧き上がれば立派なエンターテイナーです。

いろいろ思い出して胸が熱くなってきましたが話を戻そう。

「自分が相手を笑わせること」より「相手が笑うこと」を心から願うことができる人がどれだけいるでしょうか。少なくとも本番当日はそのような意識を持ちましょう。クラスの友達と話すときも持てたら一人前。かっこいいですね。「自分が笑わせたという満足感」だけを求めて人と話していると、すぐにボロがでてその自己中な気持ちがばれてしまいます。嫌われたら笑ってくれません。

人を笑わせるのが好きな男子はたくさんいますが、多くの場合自尊心が邪魔をしています。残念なことに、自尊心は女子よりも男子の方が顕著に表に出る場合が多いですね。自尊心はエンターテイナーにとって悪でしかありません。「自分が相手を笑わせること」より「相手が笑うこと」を心から願うことができない人は、飲み会で他の男子が自分より笑いをとっているだけでその男子を憎み始めます。僕もよくあります(←ドーン!)が、よくないよくない、と思って頭を冷やします。「みんな笑っている。それでいいじゃないか」と思うようにしましょう。

多分、笑わせるのが好きな男子はみんな気づいていますが、「男子よりも女子の方がよく笑ってくれる」という法則があります。確実にあります。クラスのおとなしい女の子たちは格好のエモノ(←よくない表現)です。笑わせたくてしょうがありませんね。また、大学4年生からして、「よく笑ってくれる新入生の女の子」ほどかわいい存在はありませんね。もう大好きになってしまいますね。

なぜ男子はあまり笑ってくれないのでしょう。特に、人を笑わせるのが好きな男子はなかなか笑ってくれません。「笑わされてたまるか」というバリアを張っている可能性がありますね。逆に言えば、先輩のギャグに毎回ツボってくれる新入生男子はそれだけで先輩に愛されるので、気に入られたい新入生は覚えておこう。というか新入生でなくとも、「とりあえず笑っとけば『笑わせたがり』に好かれる」と覚えておこう。

で。でね。世の中にはたちの悪い「自尊心を保ちながら笑いをとろうとする男」がたくさんいますね。笑いをとりたければまずへりくだりましょう。プライドを捨てましょう。自尊心を捨てましょう。バカにされてもへらへらしてましょう。自分よりも「何か」が下の人に、「『何か』が上」発言をされても、「は?おれお前よりは「何か」において勝ってるし」とすごんだりせずに、「えへへ」と言いましょう。はいでました。えへへ。覚えていますね。皆のいる場で空気をにごさずにへつら笑いをすることは日本においてとてもとても大事ですね。空気を悪くする人は嫌われますね。はいでました。嫌われるとおしまいです。

世の中には「いじられキャラ」というのがありますね。いじる側が、いじられ側を小馬鹿にして笑いをとる、「いじり笑い(←いま命名)」というのがありますね。多くの男子が誤解していてたくさんの厄介事、嫌な雰囲気をまき散らしていますが、このいじり笑いとは、「いじる側といじられ側がお互いに自尊心を捨てられている場合にのみ笑いが起こる」ものです。これは非常に非常に高等なテクニックで、そこらの男子にできる芸当ではございません。誰かをいじって笑いをとっている男子諸君!君は自尊心を捨てられているか!いつでも「いじられ側に自分が転じたとしても完璧にいじられキャラを演じること」ができるか!相手がいじられキャラであることを利用して相手をバカにして自分の自尊心を満たしてはいないか!もしもそうならそれはエンターテイメントではなくただのいじめだ!恥を知れ!

「いじられキャラ」の人が好き好んでいじられキャラをやっている可能性はいかほどのものなのだろう。たぶん1割にも満たないのではないか。多くの学校で、多くの人が不本意ながらいじられキャラをやらされ、自尊心を削り取られながら、イライラしながら、いじられ側の自尊心の回復を手伝わされているのではないだろうか。

みんな笑っているからたちが悪い。そういう空気が一度出来上がってしまったらいじられ側もいじり側もやめにくい。自尊心を捨てられたいじり側が行動に出るしかない。

エンターテイナーになると決めたのなら、笑わせようとした相手に「何をバカにされても怒らない」と胸に誓おう。君がめっちゃバスケ強くて、バスケ愛してて、笑わせようとした相手にバスケを「ただの玉つき遊び」とバカにされても、「まあ似たようなもんだなw」と笑い飛ばしましょう。ちょっとでもイラッとしたら負けです。よくあるのが、ちょっとしたイラッをこらえようとして、その場の空気も守ろうとして、でもちょっとだけイラッを発散させたくなっちゃって「玉つきばかにするなよ!ww」みたいな中間のつっこみを入れてしまうという現象ですね。そういう「隠れイライラ発散」は大体ばれてしまいます。隠せません。言い方に出ます。いくら語尾に「ばかにするなよ!www」とwをつけても無駄です。笑いながら言っても無駄です。あなたが彼らを「笑わせたいな」と思った時点で、全てにおいてあなたは完全に敗北した場所からスタートしなければいけないのです。「ただの玉つき遊び」とか心のないことを言うようなやつには少なからず自尊心があるのでしょう。そんなやつを笑わせようとした時点で間違っているのです。

ですが、舞台をやったときのように、無差別にたくさんのお客さんを笑わせようとした時は、自尊心の塊が相手の中にまぎれていても仕方ありません。だから諦めるのです。エンターテイナーはピエロです。ピエロはバカをやってバカにされて笑われるのが役目なのです。「おいらが泥まみれになって笑ってくれるならおいらはそれでハッピーさ」と思えなければならないのです。あなたが下で、お客さんが上です。喜劇に「お互いを尊重する心」は必要ありません。少なくともお客さんが劇を見終わって「サイコー!面白かった!これ作った人すごい!」と、こちらを「クリエイター」として尊敬してくれるまでは。

美大生よブランディングせよ

こんにちは!ちっちゃい頃、自分の誕生日が何回来ても絶対に姉ちゃんの年齢を超えられないのが不思議でなりませんでした。ガストンです。

美大生よブランディングするのだ。ブランディングをするのだ。

企画を立ち上げよ

企画を立ち上げるのだ美大生よ。やりたいことがあるんだろう?またはなんとなく何かやりたいそんな気分なんだろう?黙ってても誰も背中を押してはくれない。とはいえ自分から動き出すのは必要な「やる気エネルギー」が足りない。背中は友達と押し合うものだ。その企画をやりたがってくれる友達を必死こいて探すんだ。自分より「やる気エネルギー」が高い人を誘うのだ。

ブランディングせよ

美大生よ、もっとブランディングに興味を持つのだ。ブランディングとは「団体のアイデンティティをはっきりさせること」だ。ポスターとwebサイトのデザインを統一させるのだ。ツイッターやfacebookなどの宣伝文句の口調を統一させるのだ。そこに団体らしさを出すのだ。その団体らしさを自分たちが好きになれなければならない。いい意味で「身内感」を作っていくのだ。誇れる団体にしていくのだ。自分たちからもお客さん(ターゲット)からも好かれる団体にするのだ

芸祭でなんかやるのだ

美大生よ、芸祭という絶好の機会を逃すでないぞ。特に2,3年生よ。悪いことは言わないから芸祭でなんかやりなさい。絶対なんかやりなさい。ところでガストンは「世の中には色んな考え方があるよね」とか「やり方は人それぞれだよね」とかの考え方にひれ伏してあやふやでありきたりで差し障りないアドバイスばっかする先輩が嫌いだ。「おれはこう思う。絶対こうした方がいい。責任?とるわけねーだろ」というスタンスで後輩にアドバイスしたい。取捨選択は勝手にしたまえ。取捨選択できなかった方が悪い。一つ一つの意見はとんがってる程存在意義を持つ。

はい。とにかく芸祭でなんかやりなさい。芸祭でなんかやることが正義でなんもやらないことが悪だ!もうお前にとっちゃそれくらいに思ったほうがいい。手を動かしなさい頭を動かしなさいお金を取りなさいターゲットを絞りなさいスキルの高い仕事のデキル知り合いを引っ張って来なさい実行しなさい結果を出しなさい出した結果は「あざとさ」とか一切気にせずガンガン自慢して宣伝してみんなに知らせなさい。

芸祭はね、お客さんが来るんだよ。芸祭期間中は美大の中は社会になるんだよ。面白ければお金を払う、欲しければお金を払う、そうでなければスルーする。そういう大人の社会と変わらない状況が学校の中に、年に3日間だけ存在するんだよ。それをお前、それをお前は何を「客側」で終わらせようとしているんだ!何をしているんだ!おれがepa!やってた時なんかすごいぞ芸祭のためにほぼ1年費やしたんだ!1年生のときの芸祭が終わった2日後から2年生での芸祭の企画会議はスタートしていたんだ!頭のなかにはすでに「次の舞台はあーやってこーやって」って考えがたくさんあったんだ!3日のために362日間捧げたんだ!そりゃもう達成感半端無かったよ人生変わったよ全部変わったよ信じられんくらいいろいろ学んだよかけがえないよ大学で受けたどの授業よりも得たもの大きいわ当たり前だわ

事務仕事が得意なやつを仲間に入れよ

美大生の中に絶滅危惧種と言われながらも毎年50人に1人くらいの確率で美大生の中には「事務仕事が好きで得意なやつ」という者が存在する。ポイントは「好きで」得意なやつだ。得意ってだけじゃなく、好きで自らすすんで仕事を見つけて動けるやつだ。もっと具体的に言うと、今後のスケジュールについて会議しようってなったときに、誰にいわれるでもなく「A3の紙に月表示カレンダーを印刷したもの」を持参してきて「これテーブルの真ん中に置いてみんなで予定書き込んでいったら見やすいと思う」とか言い出せるやつだ。もうこんなやつには誰も勝てない。結局、企画を引っ張っていくのはこういうやつだ。

事務仕事が好きなだけのやつにできないこともある。例えば、「誰に言われるでもなく暇な時に企画のスケジュールをぼんやり見つめて、『あ!この日よく考えたら休日で学校空いてない!やばい!』ということに気づけてみんなに報告する」ということだ。これは「企画自体が好きで、責任感の強い人」でないとできない。

責任感の強い人っていう日本語が嫌いだ。みんな適当に使いやがって。使い方間違ってる。責任感が強いって例えばどういうことか説明できる?つまり上に書いたようなめちゃめちゃ具体的なことができますかってことよ。言葉にするなら、「誰に頼まれるでもなく企画を支えることができる」ってことよ。

企画は流れに乗せたら後は自己満足。頑張れ

企画はね、「頓挫できる状態」から始まって、ある程度メンバーも集まってものも途中まで作ってて本番が近づくと「頓挫できない状態」に進化するのよ。例えばお前が立案者だとして、今いるメンバーはほぼ全員お前の知り合いから集めてきたメンツだとして、まだ始まって間もない「頓挫可能状態」の時期にお前が「やっぱだりぃめんどいやーめた」ってなったら、それはもう企画破棄ですよ。他のみんなは「ざけんなまじざけんな」とか言うかもしれないけど、お前がやめたからって自分らもやめるようなやつらにお前を責める資格はない。逆に、制作が既に何割か完成してて「頓挫不可能状態」または「もうここまで来たら最後までやるでしょ状態」になったら、仮にお前が抜けようが何しようが他の奴らは最後までやるんですよ。その状態までひっぱっていくのがお前の最初の仕事です。そうなったらもう「やるにはやる。企画がなくなることはない。ただどれだけのものが作れるか」という状態になるから、頑張って満足できるクオリティ目指そう。

よいかイガラム。企画は人なのだ。

人が全てです。誰がやる気エネルギーどれくらいあって、誰がやる気エネルギーどれくらいなくって、誰がもう団体をやめたがっているかとかを気にしましょう。いわば人事。人事です。美大生のグループワークは給料が出ません。みんなのやる気エネルギーで持っています。みんなのやる気エネルギーを把握するようにしましょう。そいつはバイトがあるから帰るわけではありません。「ホントはバイトシフト探せば見つかるかもしれないけどいいやこの企画めんどくさいしだるいしバイトの方が有意義だわ」という計算の結果、帰るという選択肢を選んでいるのです。それを見破りましょう。見破って、そいつが何に意義を感じる人かを汲み取って、適切なアプローチを試みましょう。

愚痴を言うな

愚痴を言うな。愚痴を言ってもマイナスにしかならない。むかつくから愚痴を言うんじゃない。愚痴を言うからむかつくんだ。あいつが悪いからとか、お前は悪くないとか、どれだけ他人の同意を得ようとそんなことに意味はない。だれが悪いかがはっきりしたところでお前の企画は救えない。あいつを活かすことができないなら切り捨ててもいい。無視して企画を進めてもいい。結果が全てだ。お前が一番ためになることをお前がするんだ。

世の中にはどうしようもない人がいる。正しくは「お前がどうしようもないなこいつ」と思ってる人が存在するだけだが、それを他人と共有するな。仲間を作ろうとするな。どうしようもないやつにはお前が一人で対策を練りなさい。お前自身が「どうしようもないやつ」でない限り、なんとかいくはずなのだ。

今日は久しぶりになんも考えずに書いた。誰かと酒を飲んで語るときのように、思いついたことをどんどん脱線しながら書いた。楽しかった。企画をイチから立ち上げない美大生多すぎ。人の下について指示受けて手だけ動かす方が好きっていう美大生多すぎ。多分、人の上に立って指示出すのにも興味はあるんだけどビビって言い出せない企画できない動き出せない人がたくさんいるのではないか。きっとそうだ。そいつらもっと動け。社会に出たらどうせ手も頭も使えないといけないんだ。芸祭で練習しとけ。人件費が無料で、みんなの「やる気エネルギー」に結果が大きく左右される「美大生の企画」はとてもとても特殊な環境だ。でもその環境はとてもいい練習になる。人を見る練習になる。社会に出ても絶対通用する。

おわり。

カナダのバスがすごすぎて失神した

こんにちは!SNSの利用人口は日本人口の半分以下なんだって!FacebookとTwitterの利用人口はわずか2000万だって!日本人口1億3000万人だぜ!?バドミントンの競技人口930万人だぜ!?Twitterで50万フォロワーと聞いたらすげええええ!ってなるけど小さな世界だね!ガストンです!

カナダのバスが、というかバスのシステムがすごすぎたので紹介。まずはこれを見てくれ。

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バス停だ。どこにでもあるバス停だ。バス停で間違いない。ここに座ってればバスが来るんだろう。きっとそうだ。周りには誰もいないけどこれがバス停であるかぎりここにはきっとバスが来るんだ。

言っておくがガッちゃんは言わずと知れた「バス乗り慣れてない人」だ。ぶっちゃけカナダのバス事情に驚く前に日本のバス事情もよくわかっていない。日本のバスはすごいんですか?

カナダのバスはすごくない。不便きわまりない。おれもあの日までそう思っていた。

だってそうだろ?こんなとこで来るのか来ないのかもわからないバスを待つなんて芸当、おれほどの「バス乗り慣れてない人」でもない限りできやしない。そうだ。なにかおかしい。もっと便利なはずだ。そのときおれの脳裏にある言葉がよぎった。「・・・時刻表」

第2章 消えた時刻表

バス停をバス停たらしめるものは「上に屋根が、横に広告がついた、6人くらい座れそうな、何かーー例えばバスなどーーを待つのに持って来いな横長椅子」だけではない。もう一つ、バス停にかかせないシンボルがある。それがあれだ。あのあれ。あれ?あれ名前なんて言うんだろう・・ほら、あの棒についてる小さい看板みたいな・・

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そうそうこれだよ!これこれ!これね。これ。バス停をバス停たらしめるには椅子と「これ」がいる。

そして時刻表があるとすればバス停の壁かこれのどちらかだ。しかし壁にはなかった。どう見てもどう舐め回してもなかった。ではこちらにあるはずだ。え?本当か、だって?疑うのはやめてくれ。ホラ。

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見ろよもはや壁がガラスだ。これじゃ時刻も表にできやしない。ガラスに文字を書くなんてFacebook創始者のマークザッカーバーグがプログラミングをやれこうすべきだやれこっちの方が効率的だやれこっちの方がお味噌汁かけご飯はおいしく作れるなどと友人のジョニーと議論を交わすときだけだ。

それでも疑う読者諸君のために僕はきちんとKLIIKの裏側も確認したのでそろそろ次に行きたいです。ではこちらにあるはずだ。

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・・どこだ。一体どこに行ってしまったんだ時刻表。てゆうかこれなんだ?おれが「これ」から汲み取れることと言ったら次の通りだ。

  • このバスは車椅子ユーザーに優しいよ!
  • このバス会社に問い合わせたいなら604-953-3333に電話すればいいよ!
  • このバス会社のWebサイトを見たいならwww.translink.caにアクセスするといいよ!
  • えー・・ゆーびーしー?とかぶるらーどすたちおん?とかがなんか大事な情報だよ!なんのことかわかんないけど!
  • 14?135?N35?・・元素記号・・じゃないよなー・・

この「これ」から読み取れることといったらこれくらいだ。あと右上になんかオレンジ色で50958と書かれているがこれはなんか多分飾りかなんかだ。

ちなみにゆーびーしー?とか14?とかについては、バスの乗り換えアプリを使って、「バスの識別番号と行き先のバス停名」であることがわかった。

どーーーーーん!!いやここにきてお前バスアプリ使ってんのかーい!!!!

っておもったかもしれないけど、そこはいくら「バス乗り慣れてない人」とはいえガストンは「アプリをインストールしてなんでもどうにかならない社会はもう社会の方が悪いと思ってる人」属性も持ち合わせているからインストールしちゃうよね。そりゃするよね。で、まあこの数字と行き先で、どこ行きのバスがこのバス停にくるかわかったよね。

いやそんなことはどうでもいいんだ。問題は「時刻表がどこにもない」ということなんだ。ここでひとつの仮説を立てることができるよな?そう。

「カナダは時間にルーズだから時刻表なんて作ったところでバス時間通りに来ないからみんな『バスいつくるか知んねーけどまあそのうち来るだろ』とか思いながら適当にその辺のチョウチョと遊びながらバスを待ってるんじゃないか説」だ。

おれもそう思ってた・・そう、あの日・・クラスメイトの香港人の友達、ほこぽん

(仮名)がおれにバス会社translinkの底力をさらりと説明し、おれに膝をつかせたあの日までは!

第3章 時刻表はいつもあなたのそばにいます

あの日、おれはほこぽんと2人でバス停を探していた。もちろん、「アプリをインストールしてなんでもどうにかならない社会はもう社会の方が悪いと思ってる人」であるオレと、「そうでもないけどまあ便利なアプリは使うよねっていう人」のほこぽんはグーグルマップをインストールしてなんの苦労もなくバス停にたどり着いた。

バス停に着くと、なにやらほこぽんがそわそわしている。すぐさまほこぽんはスマホを取り出し何かを打ち始めた。おれは

「おいおいほこっち。どうせバスがいつ来るかなんておれたちにゃ知る由もねェんだ。おれたちだけじゃねェ、ここの国はみんなそうさ。まあそのうち来るさ。気長に待とうや」

と言った。言ってしまったんだ。その発言が、自分の無知を晒すことになり、それ故にあのシステムの存在を知ることになり、その後ほこぽんと決闘し、ゆくゆくは2人で幸せな家庭を築くことになるだなんて思いもしなかったんだ。

ガストン「ほら、あそこにいるチョウチョでも」

ほこぽん「え?知らないの?33333だよ」

・・参った。ほこぽんがわけのわからないことを言っている。大丈夫かほこぽん。どうしてしまったんだほこぽん。念のためもう一回言ってくれ。

ほこぽん「だから、33333だよ。電話。テキスト」

・・ほこぽん。何を言っているのかさっぱりわからないよ。それとも僕の英語力がまだ君に追いついていないのかい?君は確かに33333と言った。読み方は「さんさんさんさんさん」。英語だと「スリースリースリースリースリー」だ。小学生でもわかる。彼女は確かにそう言った。そして、おれに「あたま大丈夫かこの子」と確かに思わせた。

おれは聞き返した。

「あたま大丈夫?」

嘘だ。言うかそんなこと。盛った。本当はこう言った。

「・・え、何?なにが?」

まあ普通だ。スリースリースリースリースリーだよと言われたら誰でもこうなる。

さすがに「ああ、こいつ本当になんも知らねえのか」と勘付いた彼女は僕に優しく説明してくれた。

「スマホで、33333に、この番号送ったら届くんだよ」

てっきり「このサイトでググったらわかるんだよ」的なことを言われるかと思ったら、なに?なにを送るって?

彼女はひとつずつ手順を説明してくれた。驚く準備はいいか?いくぞ。

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まずこれなんだ。彼なんだ。SafariでもChromeでもない、Messagesその人なんだ。

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で、ここなんだ。いつも友達の名前とか打つ、あるいはアドレスか電話番号を直接打つこの宛名に、「33333」と打つんだ。5桁の番号をここに打っちゃうなんてちゃんちゃらおかしな話だぜ。でもおれを信じてくれ。いやほこぽんを信じてくれ。

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で、こうだ。この数字を打ち込むんだそうだ。「50958」。ん?なんかこれ見覚えが・・

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お前やーーー!!!!!お前だったんやーーーー!!!

そう、バス停の「あれ」の右上にあった謎のオレンジの数字。お前なんの仕事してんの?なにもしてないんじゃないの?おまえここに必要あんの?とおれにフルボッコされてたあの数字。

すまなかった本当に。あの数字はバス停ごとに違っていて、このバス停の識別番号なんだ。これを33333宛に送ると、わずか3秒ほどでどこからともなく

(33333から)返信がくるんだ!!怖い!!どういう返信が来るかというと、、

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時刻表が送られてくるんやーーーー!!!

見よ!この素晴らしさ!!オーマイガッ!!!!どやーー!!

だから時刻表がどこにもなかったんや!

バス停についたら、オレンジの数字確認して、メッセージ送って、バスがつく時間を確認するという、こういうことや!

だいたい時間通りにバスはくる。これならチョウチョを何分間追いかけ回せるかわかるっちゅーことや。

ありがとうほこぽん。

ありがとうtranslink 。

ありがとうカナダの優れたバスシステム。

まあ時刻表をバス停の壁に最初っから書いてくれてもいいじゃんと思うけど、これならなんかあってバスの時刻表変わっちゃった時にバス会社が全部のバス停の時刻表書き換える必要もないし、おれらからしても一度バス停の番号覚えちゃえば家からでもググるよりはるかに早く時刻チェックできるし、なにより、メッセージ送った時間から直近のいくつかの到着時刻だけ教えてくれるから理解が早い。えーっと今日は土曜だから平日ダイヤとは違って、、とかもない。

なによりメッセージ使うという手法が目からウロコだ。なんということだ日本もメッセージ使ってなんかいろいろやってくれ。

バンクーバーは芸術とデザインの街ではないということがよくわかった

こんにちは!遅刻した理由は、あまりにいい夢だったので二度寝したから、です!ちゃんと続きが見れたので後悔はしてません!ガストンです!

バンクーバーは芸術とデザインの街ではないということがよくわかった

バンクーバーにきてからまだ20日くらいしか経っていませんが、ここは気候はおだやかだし人はフレンドリーだし自然は豊かだし空気は美味しくて東京に比べればとても暮らしやすいですが、芸術とデザインの街ではないな、ということはよくわかりました。というか東京とバンクーバーを比べる時点で間違ってたわ。

東京にいたらデザイン面でとにかく暇をしなかった。ミッドタウンとか21_21とか新国立東京美術館とか森美術館とか各美大の卒展とか、とにかく年中なんかしらおもろい展示があると言っても過言ではなかった。

展示だけではない。こっちにきてわかったけど僕は商業施設というものが好きだ。大きなモールとか中をブラブラしてるだけでオシャレな商品展示してるお店とか寄っちゃう。服の置き方がなるほどなあとか思いながら女性向けファッションブランドのお店とかバンバン入っちゃう。バンクーバーにもいくつか大きいモールがあって、中を歩くだけで楽しかった。でもバンクーバーには大きいモールが少なくとも両手で数え切るくらいしかない。東京なんて駅のデパートとかも含めたら数は無限だ。

というかバンクーバーと東京は規模が全然違う。そもそも、経済的に発展してるところ=街にデザインがたくさん転がっている、ということを僕はバンクーバーに来て初めてわかった。東京に比べればバンクーバーは、というか世界のほとんどの都市が田舎に見える。街みたいな大きさの駅があるのなんて世界に東京だけなんじゃないかという気がしてきた。

東京=デザイン発展してる気がしてきた

経済的に発展=デザイン豊か、というとこに話戻すと、たとえば僕は飲食店はチェーン店が好きだ。デザインに本気出してるからだ。机の大きさや客の滞在時間などをちゃんと考えて店員がマニュアル通りに動いているからだ。その本気っぷりは見てるだけでふむふむなるほどと思える。勉強になる。個人でやってるお店は、店員に人間味や温かさがあるとはいえ、勉強にならない。おいもっと本気でビジネスやれよと思ってしまう。なんだよこのメニュー読みにくいなとか思ってしまう。ちゃんと掃除しろよ汚いとか思ってしまう。

たとえばバンクーバーのコンビニの店員は、お客さんがレジにいない限り新聞とか雑誌読んでることが結構ある。店員同士の会話もうるさい。というか店がだいたい汚い。日本では飲食店でホールにいる人が水を飲むときはお客さんに見られないようにしゃがんでカウンターの下に隠れて飲む。こっちでは、昨日レストランで見たけど、普通に立って水飲んでた。

日本はサービス精神の国として有名だ。店に入るなり店員全員がいらっしゃいませー!と言ってくれるのを見て、外国から来た人は王様にでもなった気分だ、と思うらしい。

おもてなしの国JAPAN

僕は日本で生まれ育ったから日本のサービスを当たり前だ、と思ってるけど、それでよかったと思う。おもてなしというものについて高いレベルを当たり前だと思う、いうなれば僕たち日本人はおもてなしのエキスパートだ。エルバフの巨人たちが生まれつきの戦闘種族なら日本人は生まれつきのおもてなし種族だ。

お客様は神様です精神はいつも日本人が嫌う日本人らしさとしてとりあげられる。確かにこっちの店員さんはみんなフレンドリーで、対等で、人間味があり、マニュアル通りにしか動けないなんてことはない。そして、レジでは新聞を読み、人によっては笑顔が全くなく、不親切だったりする。お客さんから見たらその代償は大きい。前に行ったハンバーガーチェーン店では、お客さんが水を床にこぼした横を流し目でスルーする店員を見た。日本だとありえない。さっき行った美容院の店員は笑顔が全くなかった。淡々と予約の受付を行った。ぼくは予約してる間申し訳なさを感じざるを得なかった。

日本人は日本を過小評価していると思う。海外と比較して悪いところを見つけるのが好きなんだ。誰かを見習わずにはいられないんだ。

ぼくは今回の留学で日本を好きになった。てか早く帰りたい。さすがに今はバンクーバーを過小評価している自覚はある。しゃーない慣れてないんだから。2年いる間に考え方も変わっていまよかマシで客観的な比較ができるようになってることを祈る。