フラットデザイン好きじゃない

こんにちは!部屋を片付けられない人は愛せません!もし僕が木村拓也だったら「部屋を片付けられない女は好きじゃないし、片付けられない男は女にモテないと思う」みたいな発言をテレビでぶちかましてやることで木村拓也の人気が失墜し、いやてかおれが木村拓也だ!ダメだこりゃ!ってやるんだ。もうなんだろうこれガストンです!

フラットデザイン好きくない
僕はフラットデザインが個人的に好きくないですし、個人的にでなくともWebデザイナーの端くれとして一言申したいことがあります!

その前に、そもそもフラットデザインとは何か、この上なく乱暴に説明すると、iPhone使っててiOS6からiOS7にアップロードした人はわかると思うのですが、「立体的なアイコン」が「平面的でシンプルなアイコン」に変わりましたよね。はい。もうそれ。そゆこと。フラットデザインてそゆこと。要は「のっぺりシンプルデザイン」です。

今世界中のWebサイトやスマホのUIなどのあらゆる「画面上のボタン」がのっぺりシンプルになっています。流行ってるんです。

なんでフラットデザインになったの?
フラットデザインブームの大きな火付け役となったAppleのiOS7。同社がiOS7でUIをフラットデザイン風に変更した理由を調べてみました。以下、超絶意訳。

Apple「てかそもそもさ、アイコンとかのボタンに影やパースをつけて立体的に見せてたのはさ、現実世界での見え方を真似てたわけやん?それはiPhone使う人が現実世界に生きてて、影とかパースのある世界におるから、それに似せると『ああこれ押せるボタンねはいはい』とかってわかりやすいかな思ってやったことやん?

でももうさ、みんな慣れたっしょ。文字打つボタンとかさ、一個一個ガラケーみたいに影つけてテクスチャつけて現実のボタン真似せんでもさ、あかさたなはまやらわが並んでたら『押せる』ってわかるっしょ。アイコンやアプリも同じでさ、現実世界っぽくせんでも何をどうしたらどう動くかとかわかるっしょ。」

とのこと。もはや意訳を通り越して自分のフィルターかけてしまった感ありますが、大体そういうこと。他にも、「影をつけることで解像度の低さを誤魔化していたがそれも解像度が上がった今やる必要がなくなった」だとか「レスポンシブル化が進む今後、画像などを使う機会が少ないフラットデザインは様々な画像サイズに対応しやすい」など、フラットデザインに移行するメリットは色々ありますが、僕はこの流れに納得できない。

特にここでは、見た目のかっこよさやレスポンシブ対応とかを別にして、「みんな慣れたっしょ」に関してのみ反論したい。

慣れてなくない?
ズバリ反論したい理由がこれだ。慣れてねーよ!ということ。

僕らは3次元の世界に生きてて、「インターフェイス」と「現実世界」のどちらと繋がりが強いかなど、言わずもがな後者だ。もちろん、画面が現実世界を模倣しなくなったところで支障なく使える。平面的だろうが立体的だろうが、今までと操作性が似ていれば困ることはない。そういう意味では慣れている、と言える。

しかし初めてその機械を使う人はどうだ?そこには慣れもクソもない。誰かが生まれて初めて見る「画面上のボタン」がのっぺりでいいのか?

スマホやパソコンを初めて使う人にとって「現実世界を模倣したデザイン」は少なからずよい説明書代わりになる。

デスクトップという言葉の本来の意味は、読んで字の如く机の上という意味だ。机の上で書類を整理するイメージだ。だから「データの消去」という操作が「ゴミ箱アイコンへのドラッグアンドドロップ」なわけだ。なんという分かり易さ。感動する。

だがもし仮にこのゴミ箱がフラットになってしまったらどうか。「逆さまの台形」みたいなことになっちゃったらどうか。世も末だ。万人向けのデザインとはいえない。

てなわけで僕はiPhoneに「立体感」が戻った方が初めて使う人にとって親切だと思っているし、この流れに沿って盲目的に、デスクトップのゴミ箱アイコンなどの「必要最低限の模倣」さえフラットにしてしまうことを一人勝手に危惧しているわけだ。

とかいいつつ模倣する物がなくなってるのも事実

だが!だがだね君!ここでもう一つ、一見関係なさそうでいてありそうでもあり詰まる所なきにしもあらず臭いこととして言及したいのが、実はその反面、僕は、「現実に模倣する『物』がなくなってきている」ことに関してもそわそわしている。

例えば電話のアイコン。あんなもん誰がどう見ても電話の受話器だし、バナナで電話するノリツッコミ文化も、受話器があのかたちをしているゆえだが、そもそも、固定電話が近い将来この国から消滅するだろう。

その時まだ今の電話アイコンが使われていたら、その時代に生まれた子供にとって、「なんで電話のアイコンがダンベルなの?」となるに違いない。

なんでこのガキは固定電話も知らないのにダンベルを知ってるんだ!おじさんが子供の頃は「お電話ですよ」とか言いながら大阪人にバナナを差し出すとなあ…!と説教したくなりますが、これが時代の流れというもの。

今後、アイコンのモチーフとなっている「オリジナル」の物の消滅は加速していくと思う。

今でも既に、「保存」を表す「フロッピーディスク」のアイコンなどがそうだ。フロッピーディスクなど今や誰も使っていない。人の目に触れる機会は明らかに現物よりアイコンの方が多い。

だがそれでも「昔使ってた物」をアイコンにする流れを止めるわけにはいかないだろう。例えば電話以外にもメールのアイコンは「便箋」だ。紙だ。今や日常的にはほとんど使わない。メールも電話もスマホでできる。のにアイコンは便箋と受話器だ。

かと言って、メールのアイコンも電話のアイコンも「スマホ」にしたらもうそれはそれはわけわからなくなる。「電話が緑でメールが青ね」とかなってくるとそれはもう発狂ものだ。きえええぇぇぇー!!って一人家で言ってやる。わかるかボケェェェェ!!って初めてスマホ使った人の怒りを勝手に代弁してやる。

フラットしすぎは初心者に優しくないかもしれない。この先モチーフとなる「もの」はどんどんなくなっていくかもしれない。そんな中「わかりやすいインターフェイス」とは何か?使いやすさと分かり易さのバランスをどうとっていけばいいか?

こうした問題について考えていると、デザインが「かっこよさ」や「使いやすさ」だけを考える分野でないことがわかってくる気がする。時代とともに語られるデザインテーマが変化していく感覚がわかる気がする。

んんーーやっぱり難しいねデシグン!