マーケティングをしないのは「逃げ」

僕はデザインのバイトで生計を立てながら劇団を主宰しています。まだまだしょぼい劇団ですが、なんとかこれからも自分が主催で続けていきたいなあ、などと甘っちょろいことを思っていました。とはいえ、年に二回の本公演をいつまでも続けていたってらちがあかないとは思っていました。

じゃあ、どうするか、うーんどうしましょうねー、という死活問題を棚に上げて、脚本を書く忙しさにかまけておりましたところの今日の事件です。今日、お友達の渡辺龍太さんという放送作家・ブロガーの方とお話したのです。渡辺さんは以前演劇のWSで知り合った方で、こないだpenという雑誌で映画のレビューとか書いたりしてて、すごい人です。

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この号↑

その渡辺さんと先日ご飯に行きまして、その時にお聞かせいただいたお話が目からウロコ過ぎたので書き記します。もうね、すべての「創作活動する人」に聞いて欲しい。もうすべての美大生に聞いてほしい。いっそ渡辺さんにムサビで講演してほしい。その概要はこんな感じ。

「やりたいこと一本に集中」は逃げ

まず、大前提として、「面白いものを作ればみんな見てくれる、っていうのはもう神話」とします。もうこれは、読者の共通認識、というテイで話します。大丈夫だよね?おけ。

でも、「面白いものを作ればみんな見てくれる」なんてことはありえない。頭ではそうわかってるつもりでも、だからといってそれを実行に移せている人は今の僕を含めて少ないんじゃないか。

わかっているつもりでも、市場を見つめ、ターゲットを定め、有効なメディアを見極め、プロの意識でガリガリマーケティングできていなければ、それはわかっていない人とやってることは同じだ。

例えば僕が舞台を作ってる。テレビに出るのもユーチューブに出るのも、やるつもりはない。ツイッターとフェイスブックは一応やってるけど、更新したりしなかったり。公演を打つ以外に今後の宣伝活動の戦略みたいなものは特にない。そんな僕に誰かが「ユーチューブに毎日動画を上げる劇団として売り出してみれば?」と助言したとする。でも僕は演劇だけに集中していたいから、とその助言を無視したとする。邪道だ、とも言うかもしれない。
でもそれは、実際は「やりたいことだけやること、に逃げている」だけなのかもしれない。

やりたいことをひたすら続けるのは、王道をまっすぐ歩くみたいでかっこいいかもしれないし、それが正しい感じがなんとなくするかもしれない。でも思考の放棄は明らかに正しくない。

好きなことだけ、やりたいことだけやるのは、言ってしまえばクリエイターにとって「楽」なのだ。だって好きなんだから。嫌いで苦手なマーケティングや広報活動のことなんか考えずに、制作だけやれていたらそりゃあ楽だし楽しい。だけど、プロ意識とはそういうことじゃないのではないか。どうやってお金をたくさん稼いでいくかの仕組みづくりは、それを外注できない素人にとって自分ですべき創作活動の一部なんじゃないか。
ほらもう、ね。目からウロコでしょ。

創作以上にマーケティングせよ。

もしかしたら、最初のうちは、舞台をやっていくにあたって、6割マーケティングについて考えて、4割作品について考える。そういう利率になるかもしれない。これは全然おかしな話ではない。それぐらい「どう売っていくか」は大事だ。

あ、てかもしかしたらこの中には「マーケティング」が具体的に何を指してるかピンとこない人もいるかもしれない。
例えば島田紳助は、紳竜の研究というDVDの中で自身の戦略について語っている。

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彼がコンビで売り出そうとしたとき、彼はノート1冊埋まるほど戦略について考えたそうだ。

当時漫才といえば、スーツを着てゆっくり喋るのが主流だった。でも紳助はヤンキーのような格好で、ものすごく早口で漫才をした。自分たちは先輩方と違って笑わせられる打率が2割しかない。普通にやったら、先輩に比べてお客さんを笑わせられる回数が少ない。ならその分、一回の漫才の中で3倍の量喋ればいいんじゃないか、と考えたらしい。

そういうのを戦略という。戦略に必要なのは売れている先駆者たちの分析だ。いいものを作る前に、戦略を練らなくちゃいけない。

そんなに売れているわけでもないのに芸歴の長さを自慢する芸能人がいるが、長年やっていて売れていない、ということは戦略が間違っていたということだ。それを恥ずかしげもなく自慢できるということは、おそらく、それほど戦略を考えていないということだ。

清原の話

これはあくまで例えの話だけど、僕が舞台で自分の主催する劇団で「清原を支持します!」と表明すれば世間的にすごく注目を浴びるだろう。それで仮に500万円用意して清原本人を舞台に出演して貰えば、『たった500万円で』僕の顔を全国に知ってもらうことができるかもしれない。これはすごいことだ。

仮に僕が500万円を使ってすごい照明やすごい舞台美術で大きな劇場で有名な役者呼んだりなんかして普通にすごい舞台を作ったとしても、全国に名を知られるのは難しいだろう。

全国、っていうのはとんでもないことだ。例えば劇団☆新感線という(演劇好きな人からすれば)超有名な劇団がある。

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古田新太がよく出ていて、チケットはいつも即完売だが、いったいどれだけの日本人がその存在を知っているだろう。劇団四季の知名度には及ばないだろう。もっと言えば、清原の知名度には及ばない。テレビに対して舞台は圧倒的に拡散性が弱いのだ。

もちろん、「だから舞台やってたんじゃダメだよ」というわけではない。「だから君がやってるみたいなしょぼい劇団は、頭使わないとゼッッッタイ知名度あがらないよ」というわけだ。

コメディ?広い広い!絞れクソカス野郎!

例えばお笑いという山の頂点には吉本新喜劇がいる。舞台という山の頂点には劇団四季がいる。どこかの頂点を目指すのは難しいから、新しい山を自分で作るのだ、という話。島田紳助の話にも似ているが、まだ誰も見たことがない、けど面白いものを作って、その分野の頂点に立つことを目指すべき。
例えばシルクドソレイユというサーカス集団は日本でも結構人気だけど、あれはサーカスでも演劇でもダンスでもない。シルクドソレイユなのだ。サーカス、と聞いて私たちが思い浮かべるようなものとはかけ離れたエンターテイメント性がある。だから見た人は新しさを感じる。

僕がやっている劇団も、単に「コメディの頂点を目指す」だけじゃ広すぎる。絞らないといけない。例えばこの前見た劇団ポップンマッシュルームチキン野郎は、コメディなんだけど、ほとんどの公演で誰かしら全裸になるらしく、また、人間以外(動物など)の役をする役者が頻繁に出てくるらしい。これは間違いなくこの劇団の個性になるんだろうと思う。でもきっと、これでもまだ弱いくらいなんだろう。

他にない圧倒的にわかりやすいアイデンティティを、アホロも探さないといけない。

演劇というのは本当に狭い世界だ。小さな世界で周りには似たような人間が集まり、お互いを褒めあっているが、世間からしたら「劇団(笑)」止まりかもしれない。「目指せサンシャイン劇場!」「目指せ本多劇場!」それだけでは戦略があるとは言えない。ましてや、「目指せ(俺たち的に)面白い舞台!」だけでは、もはや戦いのスタートラインにすら立てていないのである。

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