有名な人の話はなぜ僕らの生活を変えないのか

こんにちは!バスは酔うから乗りません!ガストンです!

有名な人の話=ためになる話?

ふと思ったんだが、世の中には、偉い人、すごい人、有名な人というのがいる。そういう人の話を雑誌やテレビでやってると、自分のためになる何かを吸収できると思って注意深く見聞きする。佐藤可士和が武蔵美にくるとする。そんでいろんなおもしろくてためになるエピソードを話してくれたとする。

その講義の中で僕は色んな発見をし、色んなことを考えさせられ、色んなことをメモし、感化され、刺激され、やる気を起こさせられたとする。そして帰路につく間、満足感に包まれたとする。ここまでは順調だ。

じゃあ果たしてその後、僕の生活はどう変わるだろうか?僕は果たして、講義を受ける前と比べて、自主制作の数を増やすだろうか?デザイン系の雑誌をたくさん見るようになるだろうか?展示をたくさん見るようになるだろうか?そして、よりレベルの高い作品や論文を生み出すことができるようになるだろうか?あの感動の講義から1週間経つけど、気付いたらなんもおれの生活、具体的にどこも変わってねーや、ってことがよくある。

聞くだけで満足するのがよくない

あくまで僕の場合だけど、用は自己満足はできてるけど何も変わってない。少なくとも自覚する限りは変化がない。聞いただけでなんかしらを吸収できた気になって、実際はそのなんかしらを具体的に人に説明できない。説明できないのは、何も吸収しきってないから。

じゃあ何をどうすればいいのよ

大学の特別講義とかを聞いたあと、「あーーーなんかすごいいろいろためになる話聞いたわ」って気分になったら、そこで終わらずに、自分の中で整理し直して、どの話がどう今の自分にとっていい刺激となったのかをはっきり自覚できるようになるといいと思う。とはいえ場合によっては、自覚できなくとも数ヶ月後、数年後、そこで聞いた講義が記憶の奥から蘇ってこういうことだったのか!なんて形で再浮上することもあるかもしれない。その場合は記憶の片隅に置いとけばいい。でも自分の場合はそういうのは全部自覚したい。「ほんとにためになったの?」と誰かに聞かれたとき、ばっちり答えられるようにしたい。

で、そのための手法だけど、自分の場合、友達や家族、誰でもいいから誰かに話すのが一番手っ取り早い。いざ話そうとすると案外、思い出せなかったりする。がんばって思い出しながら話すのがすっごくいい「再吸収」になる。

要は何が言いたいかというと

ためになる話聞きながらメモしてる人たくさんいるけど、それを後から見直したり、上に書いたような再吸収を果たしてしているのだろうか。ためになる話は、満足感を得るためのものか、それとも自分の行動や環境を実際に変える起爆剤となるためのものなのか。その辺をはっきりさせなきゃな、という気付きの備忘録でした、ひい。