劇むさ役者感想

こんにちは!学科の合宿から帰ってきましたガストンです!

劇むさっていう演劇サークルの役者の感想を書いたよ!こんど地獄の反省会に行ってくるよ!そこで反省点を書いてみたら結構おもしろい内容になったからここにも載せちゃうよ!

・各キャラの掘り下げ共有が一度だけで効果も薄かった。

一度、自分の役に対して抱いてるイメージを書いて来る、というのをやった。あれ今思えば何の意味があったのかわからない。あれ、やって終わりだった。みんなは自分の役に対してどう思ってるの?へえそうなんだ。で、終わり。おれはこのキャラの性格もっとこうだと思ってたけどな、とか言っても、そうかー、で終わる。つまりそれ以上の会議が個人に委ねられる。委ねられると、みんなやらない。だから役の掘り下げ会議をもっと時間設けてやるべき。

このキャラはこのシーンでどんな心境なの?とか、このシーンって笑いを取ろうとしてるシーンなの?とか、共有すべき。共有して始めて、「だったらもっとこうした方がよくない?」という意見が出始める。

・一緒にご飯食べる制度、すぐに崩壊した

役者全体や戯曲に関して話し合いの場を設けよう、ということでみんなでご飯を一緒に食べることに一時期なってたけど、数回だけやって終わった。結局主に雑談しかしないからあまり効果がなかった。だからやはり会議と銘打って役者会議すべきだった。ご飯の時間を使うのではなくて、練習時間を割いてやるべき。その方がメリハリが出る。会議は練習と同じくらい重要。

・戯曲会議がなかった

戯曲会議がそもそもないのがおかしい。作演が書いてきた戯曲に対する質問タイムが一切なく、すぐに練習に入るのはおかしい。当然、役に対する疑問や不満、戯曲に対する質問や提案はあるはずだ。それこそ役者の数だけあるはずで、みんなの疑問や意見こそいい舞台を作るための資源になるはずだ。それらを作演は片っ端から聞き取り、取捨選択すべきだ。だがこれらを話し合う場が全くない。結局、我慢できなくなった人が個人練で友達に愚痴る。その愚痴に共感する人が多いと、個人練の時間に人がどんどん集まって会議みたいになる。で、役者長がこれはまずいと判断して作演含めた緊急会議を開く。これは実際にあった一例だが、非常によくない会議の起こり方だった。つまり、定期的に会議する仕組みがなかったからこそ、ある役者が不満を溜め込み、我慢できなくなったときに緊急会議が開かれる。緊急ということで、みんなの中に「とてもまずい状況だ」という意識が生まれる。これがよくない。

実際に、役者で行われた会議という会議はこのときの会議と、第二回企画外がなくなったときの2回くらいだ。4ヶ月かけて作る舞台に関する役者会議がたったの2回。どう考えてもおかしい。しかもどちらも、空気は最悪だった。

これらは解決できる。みんなで疑問や不満を言い合う場を定期的に作ることで溜め込まずに済む。裏方会議という言葉を聞いて、ああ裏方は会議してるんだ、羨ましいなあ、と思った。

作演に話しかけるタイミングというのは、おそらく作演や作演と仲のいい人たちが思ってる以上にない。全くない。移動時間か、休み時間かしかない。そんなときにコアな疑問などぶつけられるわけがない。

・ストレッチ長い

ストレッチやたら長い。ストレッチは必要だと思うが、あんなに長い時間かけてやらなくてもいいと思う。ラジオ体操ぐらいでいいと思う。あんなに長いのを毎回やるくらいだから何かこだわりがあるのかと思いきや、本番近づくと全くやらない。準備運動は個別でやっておけと言ってもみんなやらないだろう。だから極端に短くして、みんなでやるべきだ。本番近づいても、アキレス腱と首、手首回すのと屈伸、前屈、開脚、股関節ぐらいはみんなでやるべき。2分で終わる。

・顔筋トレ効率悪い

顔筋トレも長い。長い時間かけてずっとやってきた割りには、結局あれやってよかったと公演終わって言える人がどれくらいいるのだろう。
後半、ある役者は笑うのが苦手ということで、笑顔の表情筋ストレッチがいつもの顔筋トレに加えられた。そういうのなら本人は効率がいい。必要だと思ってやってるんだから。だが他の全員も揃って笑顔筋トレをやるのは意味がわからない。

他の顔筋トレも、何に役立ったのかわからない。例えば、臭いものを嗅いだ時のように鼻を上に上げる筋トレがあった。あれをずっとやってきてよかったと思った役者が1人でもいるのか疑問だ。

舞台上で変顔をする役者が、変顔不得意だから、あらゆる顔の筋肉を柔らかくするために表情筋トレをするのなら効率的だ。ただそれは1人で個人練の時間にやるべきだ。みんなでやるのは効率悪い。

・筋トレ効率悪い

筋トレに関しても似たことが言える。
自分の役の中に、3人でダンスするシーンがあった。3人のうちの1人が、ダンスシーンで体力が持たないから筋トレを3人だけ増やそう、と言い出した。そのとき自分は反対してこう言った。「踊り続ける体力をつけたいなら筋トレではなく走り込みの方が効率いい。腕立てして腕の筋肉つけても体力とは関係ない。もっというと、ダンスで体力持たないなら、そのダンスを何度も繰り返し練習して体力つけるのが最も効率的だ。繰り返し練習して、息切れしなくなったらノルマクリア。目標も明確だからその方がいい」と。結局、ダンスシーンは間延びしているということで大幅に短くしてこの体力問題は解決したわけだが。

つまり、腕立てが何の役に立ったのか言える人いますか?ということ。何かを持ち上げた?何かを押したりした?ほとんどしてない。大胸筋や上腕三頭筋が必要な理由がわからない。役作りとしてマッスルボディが必要なら話は別だがそんなわけもなかった。腕立ては不要だ。
腹筋と背筋は腹式呼吸と密接な関係があるから必要だ。
ふくらはぎについては△だ。あまり必要ではないと思うし、ふくらはぎを鍛えてふとももを鍛えないのは疑問だ。なんのためかイマイチわからない。

胸、腰だけを動かすアイソレーションという体幹を鍛えるストレッチは腹筋、背筋と同じぐらい重要だ。体幹は自然な状態で背筋を伸ばしたり姿勢をよくしたり、片足立ちなどでバランスをとる際に必要になる。

・闇練は強制すべきでない

闇練は夜の9時から11時、12時までやる練習のことを指す。いいものを作るために必要だと思う。常識ハズレの練習量があるからこそ常識ハズレのいいものが出来上がる。ただそれは、本人たちが意欲的に取り組めた場合の話だ。いやいややらされる常識ハズレの練習量なんてただのブラック企業だ。常識ハズレの練習量が、劇むさでは常識となっている。これが伝統の力だ。「当たり前でしょ」という空気が出来上がっているからだれも文句を言わずにやっている。というか文句を言いながらもやっている。

本番1ヶ月半前ぐらいから、週7毎日9時から23時までの練習が続いた。24時間、寝るか練習かの毎日が1ヶ月半も続くと、モチベーションを維持しろという方が難しい。さらに、本番が近づくとたまにオールナイト闇練というのがあった。朝の4時まで外でやった。あれは引いた。やる気の問題だけでなく体調不良も実際に出ていた。それでもこの制度に作演、制作、役者長など上の人たちは何も疑問を持たない。どうかしている。

闇練そのものは悪い伝統ではない。悪いのは、明らかに役者の士気が下がっているのにそれに目をつむり、「これさえやっておけば私たち最後には頑張ったと言える」という免罪符のように闇練を続けていることだ。常識ハズレの練習量は意欲的に、自発的にやるべきだ。上の人はそういう空気作りを目指すべきだ。

・声が小さいことの指摘が足りない

声が小さいことの指摘をしたりしなかったりだったのが気になる。声が小さいだけに限らず、体が小刻みにゆれる癖だとか、体の重心が傾く癖だとかは、ことあるごとに指摘されないと意識するのを忘れてしまう。

あるあるだったのが、あるシーンを練習し、それらを指摘し、またそのシーンをやり、また出来てない。また指摘しまたシーンやり、またまた出来てない。役者は「注意します」というが一向に治らないから指摘する側ももう指摘しなくなる。これがよくない。

ただもしこの役者が、意識してるんだけど治せないのなら、口うるさく指摘を繰り返すのは無意味だ。だが、もしこの役者が忘れっぽいだけなら口うるさく指摘を繰り返すべきだ。

特に声小さいことに関しては、自分含めみんなが忘れっぽかったように思う。第一回企画外までよく言われていたが、その後一時期全く指摘されない時期があった。本番直前でまた指摘され始めた。声小さいうちはずっと指摘し続けるべきだ。

・役者のモチベを維持する工夫が足りない

そもそも、役者のモチベについて気を配りなんらかの対応を試みた上の人(作演、制作、役者長、その他劇むさベテランメンバー)はいたのだろうか。やばい空気をどうにかしようとしていたのだろうか。全員、目をつむるか、やる気あるべきだという正論を振りかざすかのどちらかだったように思う。

例を上げるなら、ある役者の不満がヤバイということで急遽開かれた会議で、自分は作演にこう言った。「これもう、これからは気持ち切り替えて頑張ろう!みたいな精神論では解決しない。作演の目の前には3つの選択肢があってどれか選ばなきゃいけない。1.戯曲書き換える。2.なんの手も打たずにこのまま明日からまた練習始める。3.戯曲書き換えずに不満あるやつを説得する。どれかを選ばなきゃいけない」と。
結局、このあと自分は作演の頭を整理するために2人で徹夜で会議した。会議中は色々と問題が解決されたように思えたが、後から見れば結局何も変わっていない。結局、不満を持っていた役者自身がモチベを取り戻すことでこの時は何かが回復したように見えたが、作演がとったのは結局2だったと言える。

役者のモチベが低い時は上が何か手を打たなければならない。その上がボンクラだったなら周りが支えなければならない。その支える仕組みが全くないのが現状だ。上が、上で固まってる。下は、下で愚痴を言い合う。戯曲会議やれ。

・作演が11人さばけてなかった。オーディションすべき。

この話は前の芸祭公演の反省会でも出たそうだが反映されておらず同じ過ちを繰り返している。

劇むさの戯曲の進め方はこうだ。戯曲がまだ制作途中の段階から役者の募集が始まる。初めから何人集めるか決まっておらず、オーディションもやってないので集まっただけ受け入れる。そしてしばらくすると役者募集のポスターも剥がして受け付けなくなる。今回はそうやって11人で決定。それから戯曲は11人出るように書かれていく。

つまり戯曲が出来上がって、役も登場人数も決まってから集めるわけではない。これがおかしい。

でもこれはおかしいけども仕方ないとも思う。なんなら11人集まってから戯曲総書き換えもあるくらいだから仕方がない。

だったら、戯曲が完成しないうちに役者を集めるならせめて、「多くて8人」ぐらいは決めて、9人目からはオーディションして演技うまいとか魅力あるとかキャラ濃いとかの判断基準でふるい落としていくべきだ。勇気がいることだが、11人集めて出番が極端に少ない役が出るよりマシだ。

捕捉・作演が1人でやるメリットなんてない

作演が1人でやるのが当たり前なのは、作演が作・演出のプロだった場合だ。数回劇むさで舞台をやったことがあるくらいの素人に、なんで言いなりにならなきゃならないのか納得できない。別に尊敬もしてない人間に命令されてやりたくもない演技をやるのは苦痛だ。
でももし作演に優秀な人がついた場合は1人でやってもうまくいく。みんなが尊敬してついていくからだ。不満を抱かないからだ。

今回はそうじゃなかった。不満ありまくり。権力を一箇所に集中させるというのは素人団体がやることではない。作演になった人の力量によって、毎回作るもののクオリティが左右される。そうならないために作演に意見を言える仕組みに変えるべきだ。作演は大量の意見を聞き、取捨選択し、最終決定を下す。最終決定権は作演が1人で持っていてよい。

それをやるには作演は最初にやりたいことの軸を決めなければならない。最終目標は何か、喜劇なのかどうか、舞台全体の雰囲気はどんなのを目指すのか、など。そこさえぶれずにいれば、みんなで戯曲を考えたとしても少なからずその作演独特の色が舞台に反映される。

自分の演出に絶対の自信を持っている作演などいない。30人もの美大生の貴重な時間を割くということの責任感とストレスは尋常じゃない。不安でいっぱいのはずだ。それなのに今の劇むさは「作演とはそういうものだ」「それに耐えるべきなのが作演だ」「作演以外の人間が演出にあまり口を出さない方がいい」という考えで固まっている。しかし作演がどんな人かによってこれらの考えは柔軟に変えるべきだ。「作演がこうあるべき」「舞台作りの進め方はこうあるべき」などというべきべき論は素人団体がやる分にはただの思考停止だ。今回はどうすべきかなんて見れば誰でもわかる。今回はその時に伝統やべきべき論が邪魔をしていた。長年続いてきた伝統に甘えて組織がどうあるべきか誰も真剣に考えていないのが劇むさなのだという印象を受けた。

捕捉・前回、反省だけして変更事項がなかった。今回はそうするな。

最後に、今回の反省会が果たして有意義なものになるかどうか不安で仕方ない。有意義かどうかはつまり「何かが次から変わるかどうか」だ。誰かが反省会の議事録を書くだろう。あるあるなのが、そこには「こうした方がいい、という意見が出た」みたいなのが大量に羅列されるが、「次からこうすることに決定した」ということが全く書かれていないというやつだ。この場合、結局次からどうなるかがいつどのように決まるかというと、いつのまにかこれまで通りにやっている、のだ。上の人が少ないほどそうなりやすい。劇むさの場合、作演と制作が「まあいいか」となっていたときに他の誰かが「いや変えよう」と言うのはハードルが高い。

反省会で焦点を当てるべきなのは、「何がいけなかったか」ではなく「次は何を変えるべきか」だ。不毛なお通夜はもうごめんだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です