おれが金工をとったときの話 -変な価値観の話-

こんばんは!!ブログは一日一回書こうと心がけてるんだけど、地球は一日の境目が夜の12時なのに対して僕は朝の6時またはがっつり寝た時なのでそこに価値観の相違があるから時々書かない日があったり一日に2回書いてるときがあるけど気にしないでね!!誰も気にしてないか!!グストンです!!

僕の身近な人には何度かくっちゃべってきた話だけど、僕が金工っていう授業をとったときの話(僕の価値観の話)ね。

僕はある日、金工っていう銅の円盤をカチカチ叩いて器にする授業を取りました。直径20センチくらいの銅の円盤が配られて、それを定期的にガスバーナーで熱しながらハンマーでちょっとずつ叩いて器にしていくのね。

で、先生は言った。

「ついつい急いで大きく叩いてしまうけど、ちょっとずつちょっとずつ進めていくことが綺麗に仕上げる秘訣です。また、ちょっと形が歪んでしまった時に、ついつい修正しようと反対側から打ったりしてしまいがちだけど、それはどんどん形が歪んでいってしまうのでやめましょう」

これを聞いて僕は思った。

「はいはい、そういうやつね」

金工をやるのは生まれて初めてでしたが、自分にとって「あのあれと似た感じね」と思いあたる経験がありました。「ちょっとずつやるのがよい」という道筋には誰にでも覚えがあるのではないでしょうか。「そういうのあるよね」と思いませんか?今日はここをほじくる話です。

で、作っていきました。最初は言われた通りにやってましたがだんだん我慢できなくなりました。「大きく叩いても大丈夫な気がする…!!」僕は「見た感じ大きく叩いても大丈夫だ」というこれまた別の経験から「大丈夫」と判断し、大きく叩きました。はい失敗しました。大きく叩くとダメな理由がすぐに手の感触を通してわかりました。さらに形がずれていったときも先生の助言に背いて「反対側から打てば直る気がする…!!」とこれまた経験という名の感で反対側から打つと、はい失敗しました。先生が言ってた意味がわかりました。そして、「はいはいそういう感じね!!」としっくりきました。最終的に僕の作った器はなんともいびつでつまらないものになりました。

で、ここで僕が言いたいのは、こと先生の助言に背いたことに関しては「おれは後悔してねえ!!」ということです。

僕は将来金工をやるつもりもないし、ここですげえ金工の器を作ったところでそれは「学生が初めて作ったにしてはいい出来」に過ぎず、価値の低いものにしかならないと思ったので、「いい作品ができること」よりも「ここで反対側から打ったらいけそうな気がする…!!実際どうなんだろう…!!」という疑問を解決する方がデザイン情報学科の学生としては大事に思えたのです。

というのも、「ここでこうしたらいける気がする…!!実際どうなんだろう…!!」の答えを「そういう感じね!!」と知ることは僕にとってすんごく重要です。いつかこの経験に基づき「そういうやつね」「あの感じと一緒ね」と考えるときが来るかもしれないし、何よりこの突発的で感覚的な決着をつけることは僕にとって純粋に至福そのものです。超楽しいことです。こういうこと(感覚的なニュアンス)に僕は価値を置きます。先生の言うとおりにしてこのモヤモヤを残したまま優をもらうぐらいならこのモヤモヤすっきりさせて可をもらった方がマシだとこの時は真剣に思ったのです。知識ではなく感覚による知的好奇心を満たす快楽です。なんも変なこと言ってないよ、おいそこ引くな。

こういった感覚的な疑問をすっきりさせると本当に僕は嬉しくなります。何をするにしてもこういう疑問はすっきりさせてから臨みたいと思ってます。

ちなみに、前述した通りこと先生の助言に背いたことに関しては後悔してませんが、純粋に「もっと頑張ってたら先生の助言に背いたって優もすげえ器も作れてた」と思ってるので総合的には後悔してます。いびつでつまんない器を作ってしまったことに関しては知的好奇心なんて言い訳にもなりません。目の前のものに全力を尽くすのがベストだと思います(いまさら)。この金工では、変な知的好奇心を満たした時に金工への情熱がなくなってしまったのが敗因でした。「何に価値を置くか」は「何に力を入れるか」に直結します。僕は「モヤモヤをすっきりさせること」に価値を置いて「いいもん作る」に価値を置かなかったわけですが、これは両方に価値を置くことができたはずだと後悔しています。情熱が持てないなら持てるよう努力した方がきっと楽しいです。何にでも興味・関心が持てるようになりたいと思う日々です。