学生演出家は70%を目指せ

こんにちは!おしっこって我慢し続けたら何回でも引っ込むよね!ガストンです!

実はここ最近、学校で演劇やってました。自分で作・演出した演劇やりたくて、演劇サークルを卒業して知り合い集めてやってました。もうそれはそれは面白い演劇ができまして人気も上々で大好評でした。演劇最高。で、演出っていうまとめ役をやってて思ったのは、他人に100%を求めてカッカするなってこと。以下、学生が集まった団体で人を動かす際に大事な心がけを書く。

100%を求めるな

まず、上に立つ人は、「自分がやるべきことを全力でやればいいものができる」という幻想を捨てるべき。上に立つ人が自分の全力を出すのは当たり前であって、その先、つまり「みんなのモチベーションをいかに持続させるか」に気を配らなければならない。

例えば僕は今回、自分が演劇の演出をやって、役者をやっている友達に対して指示を出すとき、たくさん妥協した。妥協したと言うと聞こえは悪いが、僕は「見事70%の完成度を叩き出した」と思っている。ミュージカルシーンの練習では、練習開始から間もなく「こいつの音痴を完璧に治すことは無理そうだ」とさじを投げた。そしてすぐに70%を達成するための目標を立てた。じゃあせめて音の入るタイミングだけは練習してできるようになってもらおう、と。こういった建設的妥協を何度もした。もちろん、ここだけは妥協できない、と思ったらいくらでも強く言ったし、時にはケンカになっても演出として自我を通した。しかしその結果、メンバーの誰かのメンタルがやばい、とか、あいつが休みがちになった、とかのメンタル問題も起こらず(←奇跡)、打ち上げではかなりうまい酒を飲めた。お前おれあのとき腹立ったぞ、その節はまじでごめん、なんていうやりとりさえできていた。団体全体が健康的に終わることができたと思っている。

もちろん、演出は妥協なんてすべきじゃない!という意見もあると思う。みんなのメンタルを維持できるなら、妥協すべきでない。だが演出が言いたいことを言って、みんなのメンタルが削れていくと、結果できあがるのは40%の完成度だ。これは客観的に見れば誰が悪いという問題ではないが、演出として主観的に見れば自分が悪いと反省できる問題だ。演出の頭の中には100%がある。だからどうしてもそれを実現したいと思ってしまう。だが、演出が分身して作っているのではなく他人が集まって作っている以上、100%は難しい。本当に人を使うのがうまい人は、他人のいいとこを活かして100%どころか120%を達成するのだろうが、そんなことができる学生は見たことがない。学生の演出はせめて、70%を目標に掲げた方がうまくいくことが多いのではないか。

学生が給料の代わりに欲しているもの

そもそも、ここに書いている話は学生限定、つまり無給で時間と労力を提供している人を使って何かを作り上げようとする団体向けの話だ。学生が給料の代わりに何を求めて団体に属しているか、上に立つ人は考えなければならない。

人によって、求めるものは異なる。スキルの上達や人脈など、人それぞれだが、じゃあこいつはなんだ、というのはだいたい見ていればわかる。意見をよく言う人の意見はちゃんと聞いた方がいい(採用するかは別)し、ものを作りたい人にはたくさん作らせてあげた方がいい(締め切り守ることは別)。その人がいきいきすることを「ある程度」やらせてあげる。全体の完成度が70%を下回らない程度に。

何をしないか、だけ決めておく。

これはもはや演出だけの話ではなく学生全員に対して言いたいことだが、自分はこの団体に貴重な時間を捧げて、何を一番「したくないか」だけはしっかりと決めておいた方がいい。ガストンのこの記事を読んで「何言ってんだ!妥協はだめに決まってんだろ!」と思う人は「妥協だけはしない」ときめるのでもいいし、「ギスギスした空気にだけはしない」でもいいし、「人に迷惑をかけない」でもなんでもいい。ただ僕の場合は「人に迷惑をかけてでも無駄な時間を過ごさない」を心に決めていた。

ぶっちゃけ、演出が「何をやりたいか」がはっきりしていない団体が9割だ。学生なんてそんなもんだ。演出以外が、「演出は演出のくせにやりたいことが決まってない!私たちはどこを向いて頑張ればいいかわからない!プンプン!」と怒るのは簡単だ。でもそれじゃあ全体の作品はよくならない。そんなプンプン平社員に、全体をよくするためにできることは2つだ。1つは、演出ととことん話し合い、演出が何でつまずいているのか、何をやりたいのか、引き出してあげること(←クソむずい)、2つは、「演出下りろ、おれが代わりにやる。」と名乗り出ること。このどちらもやる行動力がないなら、つまらない作品を作ってしまった責任を演出に丸投げしたいだけのプンプン平社員のままだ。