説教まじりの斜め回答はしないと心に決めたあの日

こんにちは!腹巻きが今欲しい!今!今使って家帰ったら置き場所に困るから捨てたい!つまり腹巻きをレンタルしたい!ガストンです。

こないだサーフィンスクール行ってきました。楽しかったです。はいサーフィンの下り終わりね。

そこの店員のおっちゃんに、「トンネルみたいになってる大きい波に乗れるようになるのにだいたい何年くらいかかりますか?」って質問したときに説教まじりの斜め回答をされ、なんか人生について語り始められ、ためになる部分もありそうでない部分もあり繰り返し言ってる部分もあり総合点はマイナス20(←何様)だったので、それについて思ったこと。

気づいたら自分もやってた説教まじりの斜め回答

つまりね。サーフィンスクールのおっちゃんにこう答えられたわけ。「まあある程度波に乗れるようになるんに5,6年はかかると思うけどそもそも日本にはああいう波自体ないから。それにある一つのことをできるようになるのにかかる時間って人によって違うじゃない。それこそハワイとか行ってそういう波で練習しまくってたらもしかしたら一週間でできるようになるかもしれないってことじゃない。やってみればどれくらいかかるかわかるよ。最近の若者はあんまりやろうともしないよね。最近の若者はうんぬんかんぬん。かんぬんだよほんと。」と、まあこんな感じ。ね。

話が途中から最近の若者の説教みたいになっちゃう気持ちはよくわかる。それは別にいい。別によくないのはその前。

こちとら、「トンネルみたいになってる大きい波に乗れるようになるのにだいたい『平均で』何年くらいかかるものなのか」を知りたいだけなの。平均で、っていうのポイントなの。なんであれ、あるスキルを会得するのに必要な時間なんて「人による」と言ってしまえばそれまでだということくらいおれは知ってる。でもバイオリンがそれなりに弾けるようになるのにかかる時間とヨーヨーがそれなりにできるようになるのにかかる時間は、人によるとは言えさすがに差がある。こちとらそういうレベルのことを聞きたい。こちとらサーフィンまじで初心者だからそういうレベルでわかってない。だからだいたい5,6回目でできるのか5,6年かかるのかの検討さえつかない。それくらいこちとら未知数なことを聴いてる。5,6年かかる、と言ってくれれば、人によって1年だったり10年だったりしても、少なくとも5,6回目でできるものではないということがわかった時点でおれの疑問解消なわけ。

でも答える本人からすればそんな質問たぶん飽き飽きなわけ。普通に答えるだけじゃ言い足りないわけ。それで自分の主張が混じっちゃう。そうするとそもそも論になっちゃって質問者じゃなく自分本位の喋りになっちゃうわけ。気持ちわかるわー、、、。おれの場合だったらこんなことがあったかもしれない。

後輩「どれくらいでIllustrator使えるようになりますか?」
ガストン「やあベル。おれの家に行って自慢の鹿の角でも見ないか?何、Illustrator?ああ、ベル。Illustratorは例えば英語のようなものでね。「使えるようになる瞬間」というのはないんだよ。ググればどんなツールの使い方もわかるし、使い方がイマイチわからないままにそうやって四苦八苦して使っているうちに、気づいたらググることが少なくなっている状態、すなわち「使えるように」なっているのさ。人によってそう感じるまでにかかる時間は異なるさ。というか時間というより作った作品の回数だろうね。僕の場合、Illustratorが使いこなせると言えるようになるのに2年はかかったかな。でもほんと、君の努力次第だよベル」

みたいなね。既に話が長いわガストン。でもこちとら喋りながら「ためになること言うてるわ自分〜!!」つて酔ってるわけ。でももしベルのことを想って答えるなら「課題でしか使わなかったら2年!自主制作月に一個作ってたら1年!もっと作ってたらもっと!」ぐらい最初にぱっと答えてあげるのが親切だと思う。それを言った後にもし後輩が「どうしよう先輩の回答終わっちゃったヨもう質問したいこと思い浮かばないけどもっと先輩の話聞きたいオーラ」を放ってたらそれはもう喜んでガストンは自慢の鹿の角をひけらかすけれども。一旦質問に対して明快にぱっと答えるの大事。自分が思ってる以上に相手は「平均」がわかってないんだから。5,6回なのか5,6年なのかさえわかってない、そういうレベルで聞いてるのかもしれないのだから。そこをパッと解決してから、相手のオーラを汲み取ってから、楽しい持論展開のスタートを切ればいいと思う。