epa!で人間変わりました

こんにちは!バンクーバーのきゅうりドレッシングはボンドの味がしました。接着剤のボンドね。ガストンです!

epa!12で総演出をやってた頃に書いたと思われる文章がiPhoneのメモからひょっこり出てきました。赤裸々に書いたはいいけれど内容があまりに自分的に重いものだったので当時どこにも吐き出せずにいた文章です。僕はepa!をやってる途中に周りから「人として成長したね」と言われたことがあります。いま思えばこれがepa!で学んだ一番でかいことだと思う。学んだっていうか、人間が変わりました。個人的ですが、すごい体験です。

君が心配だ、ガストン というブログタイトルも実はこのエピソードから来てます。したいことを思うままにやって、自分に素直に生きていたら、いつか周りから本気で心配されることがあるかもしれない。でもそれって自分にとってきっと大きな意味があるタイミングなはず。この気持ちをいつまでも忘れまいと、タイトルにしました。ええ、もちろん、ディズニーアニメの美女と野獣のルフゥのセリフでもあるわけですが。

では、以下、とっくの昔に時効だと思われる赤裸々な文章をお楽しみください。

僕はepa!11が終わった直後からepa!12のことで頭がいっぱいだった。12をやらない11の仲間たちとご飯に行くことになったときも12の会議で遅れて、しかも飯屋では12をやるメンバーで固まり12の話を始める始末。12のこれからについて会議するのが楽しくて仕方がなかった。11の友達と話すのよりもそっちが自分の中で優先だった。そのとき11の仲間たちは不快そうだった。それを見ながらも僕は12の会議をしたことをそれほど反省しなかった。この時期、膨大にやっていたepa!12の会議の内容を僕は今ほとんど覚えていない。

12の企画メンバーをできるだけ多く11から引っこ抜きたいと12のメンバーで話していて、勧誘をやたらと必死にしていた。たまに学校で11の人にあってはepa!12の話。相手はさほど12をやるつもりもないのに。そんな態度を取り続けて11で一緒に頑張った仲間たちが自分から遠のいてしまってもいいとさえ考えていた。それで一握りでもついてくる人がいればやる価値はあると考えていた。実際にガストンの熱い勧誘のおかげでついてきたと思う人はいない。僕はただ仲間に対して嫌な態度をとっただけだった。それでも恐ろしいことに、なぜか僕は自分はよくやったなどと思っていた。epa!12にあまりに多くを捧げていた。

11月頭に公演が終わり、12、1、2、3月あたりまで僕はずっとそんな調子だった。今はとても後悔している。epa!をやってくれない友達よりepa!を一緒にやってくれる友達の方が大事で、入ってくれない人はどうでもいい、といった態度だったし、考えでもあったというのが正直なところだ。どうかしている。epa!は人だ。よいかイガラム。epa!とは人なのだ。

それを成す人という存在を軽視してepa!への愛を示すなど矛盾している。epa!をやってくれる友達だけ大切にしているつもりだった僕は、実際はepa!をやってくれない人もやってくれる人も誰も大切にしていなかった。大切にしていたのは自分だった。自分がepa!を使って成長したかったのか、人から褒められたかったのか、人から認められたかったのか、さすがガストン、と言われたかったのか、何なのか、あそこまでepa!に必死になっていた理由は僕のことならせいぜいそのあたりだと思うが、明確にはよくわからない。

とりあえず自分のことしか考えていなかったのはまず間違いない僕はepa!12内部の友達ももちろん傷つけていた。意見がすれ違うとすぐにトゲトゲしていた。常に自分らしくなかった。高校の頃クラスに馴染めなかった僕の方が人を傷つけていなかっただけまだなりたい自分に近かったといえる。これは後になって11だけやっていた友達に言われたことだが、その頃の僕はなんかおかしい、と周りから思われていたそうだ。常に疲れている感じが出ていて、最近ガストンが笑わなくなった、と思われていたらしい。心配だった、とさえ言われた。言われる前から自分でもどこか気づいてはいた。それが今までに経験したことのない、見たことのない自分であることに。それが自分の好きな自分ではないことも。12、1月ごろは周りの人を傷つけながらも自分が嫌になることはなかった。epa!12の会議を楽しんでいた。しかし途中からepa!12の会議さえ楽しくなくなっていた。うまくいかなくなっていたからだ。毎回会議はピリピリしていて、非常に高い頻度で意見のぶつかりあいがよくない形で起こっていた。喧嘩腰というやつだ。自分自身イライラしていた。好きでやっているはずなのに楽しくない。そんなどうしようもない気持ちが自分を苦しめていた。結果周りから見ても明らかなほどガストンは元気がなくなっていた。

そんなガストンを変えたのは人を傷つけたという自覚だった。何度も人を傷つけた。12の大切な仲間を泣かせた。友達が自分をあわれむような目で見ていることにいいかげん気づきだした。どんな理由があっても、友達を泣かせてはいけないということを、友達の涙から学んだ。自分で泣かせておいて勝手に学ぶとはずいぶん自分勝手だが、涙を見るまで、人を傷つけるというのはこんなにも自分の心にもヒビが入ったように感じるものだと知らなかった。涙ではなくても、自分がなにかひどいことを言ったあとに相手が一瞬見せる微妙な表情は涙と同じように相手の心を傷つけた証なんだと思うようになった。とすると自分はずいぶん多くの人を傷つけているぞということに気づいた。人の心を傷つけるということはよくないことだと思うようになった。グループワークの上で意見がぶつかりあうのはいいことだ。だが人の心を傷つけるというのはそれとは関係ない。ただ自分の意見が正しいという傲慢によるものだ。ぼくはもうだれも傷つけまいと誓った。みんなの意見を本当に尊重できたなら、トゲトゲした言い方もしないはずだし、建設的な意見のぶつかり合いができるはずだと思う。

人によって価値観が違うから、全員が100パーセント満足する演出にはならないだろう。だが全員が100パーセント楽しめる半年間にはできるはずだ。

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