笑いの話

こんにちは。5秒間の暗転の長さを知りたければ、今すぐ目を閉じて5秒数えてみればいい。きっと思ったよりずっと長いだろう。ガストンです。

僕は大学で喜劇をやったことがありまして、そのとき脚本を書きまして、エンターテイメントというものについて思うところがある。

安心感が笑いにつながる

まず笑いをとるには安心感が何よりも大事です。まず場所の安全。舞台で喜劇をやるときは、受付の親切さ、手際の良さや、お客さんの誘導係の人がしっかりしているかどうかや、客席がしっかりしているかや、舞台がボロボロではないかなど、あらゆる「この劇団しっかりしているな感」が笑いにつながります。安心できないと人は笑う準備ができません。

ディズニーランドは安心ですね。劇団四季も安心ですね。こちらが完全なお客さんになることができます。また、何年か前にブルーマンショー(肌を青く塗った3人組のパフォーマンスショー)を見に行った時も、初めてだったけど、ものすごくたくさんの人たちが見に行ってたし、人気だったし、劇場も大きかったし、受付もちゃんとしてたので「プロだな」と思いました。規模のでかさは安心感につながります。「プロだな」と思わせることは安心感につながります。とにかく「ちゃんとしてる」と思われることが安心感につながります。

ブルーマンショーはお客さんの中から数人をステージにあげたりしていたので別ですが、そういう参加型ではないショー、お客さんが参加しなくていいショー、もっと言うとお客さんが「開演から終わりまでただ席に座っていれば無事終わるショー」の場合、お客さんに「開演から終わりまでただ席に座っていれば無事終わるショー」だと事前に理解してもらうことが何よりも大事です。「参加型じゃないと思ってたら参加型でした!びっくり!」みたいなのは絶対にやってはいけません。参加型をやるなら参加型をやると、もっというとその内容まで(例えば、濡れる可能性があるとか、前の方に座ってるとステージに上げさせられる可能性があるとか、途中で手拍子を求められる演出があるとか)を具体的に事前に伝えておく必要があります。

「最初から何が起こるかわかってたらつまらないじゃん!」というのは自分勝手なエンターテイメントです。お客さんの気持ちを予期できていません。驚きはエンターテイメントの一部ですが、「気持ち良い驚き」と「ただの驚き」は違います。安心できる、予想できる範囲内の気持ち良い驚きを計算の上で演出するのがエンターテイメントです。

なぜ安心感が笑いに必須なのか、という問いに対してうまく答えることはできませんが、人類の「笑い」の起源に迫るあるお話があります。人類の祖先となる、ある猿が、新しいグループに入るとき、グループのボスに対して「へつら笑い」をしたのが人類の笑いの起源だと言われています。これはつまり「私はあなたよりも下ですよ。私を仲間にいれても危害はありませんよ、えへへ」という意味です。もともとは面白いから笑う、とかじゃないんですね。コビーがアルビダにやってたやつですね。笑い声は「えへへ」ですね。これが笑いの起源だそうです。

つまり最初は、笑うという行為は「自分にとって安心できる場所」を獲得するための技術だったわけです。これが後に転じて、楽しいとき、おもしろいとき、嬉しいとき、そして、ほっと安心したときに笑みがこぼれるようになったのです。

安心感は人間が笑うための土台として最初に必要な大前提なのです。

好かれることが第一。嫌いな人に何をされても笑えない

笑いをとりたければ安心感とおなじくらい大事なのが「相手に好かれること」です。これはクラスのおもしろい男子が笑いをとるのも、舞台で役者が笑いをとるのも全く同じです。

クラスで嫌いな男子が面白いことを言ったとしても笑えません。全然笑えません。むしろ「笑ってやるか」と思って意地でも笑いません。笑ったらなんとなくそいつに心を許したみたいな感じになります。さっきの猿のように。だから意地でも笑いません。

また舞台の役者も同じです。映画のキャラも同じです。好きなキャラクターが面白いことをしたら笑えます。でも嫌いなキャラが面白いことをしても笑えません。大事なのは「敵キャラ」とか「冷静なキャラ」ではなく、「嫌いなキャラ」です。演出の意図として、別に嫌われてほしくないキャラがお客さんに嫌われてしまった場合、もうそのキャラは何をしても笑いがとれません。どこかでお客さんが「わらうまい」とブロックをかけてしまうのです。

クラスで、というか人生において常に、友達と話していて笑いをとりたい人はまず友達に好かれているという土台を作ることが何より大事です。

喜劇の脚本を書く時は、「いかに早い段階でこのキャラを好きになってもらえるか」を念頭に置いて書きましょう。お客さんに好きになってもらえる前に笑いを狙ったシーンを書いても効果は半減です。ちょっとおっちょこちょいなところがある、だとか、ただのバカ、だとか、偉そうなところ言っといて実はものすごく人間の器が小さい、だとか、人間としての魅力をガンガン描いていきましょう。「人間として未完成」なほど人間としての魅力は増していきます。「このキャラが現実にいたらきっと楽しいだろうな。友達になりたいな」そう思ってもらえるのが魅力的なキャラクターです。好かれるキャラクターです。笑ってもらえるキャラクターです。

予想できることが笑いにつながる

これは安心感と似ている部分もありますが、「予想できる」というのは笑いにおいてとてもとても大事なポイントです。例えば、強面の借金取りがやってきた。すごく怖い。そいつが急に変顔でバカバカしい振る舞いをした・・笑えますか?面白く無いですね。笑いをとろうとしているのが見え見えな分、滑ってる感じになりますね。面白いかどうかよりも「えっ?何?」ってなりますね。

予想外すぎることは笑えません。予想できればできるほど面白いのです。

キャラクターを描くときは、「こいつはこういう性格だな」とお客さんにいかに早い段階で理解してもらうかがとても重要です。これは「キャラを好きになる」ことにもつながります。

漫画ONE PIECEを読んでいると、「次にウソップがこう騒ぐだろうな」とか、「ナミはこれに反対するだろうな」とか全部手に取るようにわかります。予想通りのことをキャラがやってくれると人は安心感を覚えます。安心感は笑いにおいて大事です。例えば現実世界で大事な親友が急に「10万貸してくんない?」とか言ってきた日にゃ絶望です。最悪です。その子のことが何も信じられなくなります。少なくとも、「あのさ・・こんなことお前にしか相談できないんだ。本当にこんなこと・・本当は言いたくないんだ。でも、もうおれどうしたらいいかわかんないんだよ・・」みたいな長々とした前置きを入れてほしいものです。その方がまだそいつのことを信じられます。

「こいつならこういう状況下でこういうことがあった場合、こういう振る舞いをするだろうな」と予想できることが、予想通りに起こるたびにその人に対する安心感は増していきます。

喜劇の脚本を書く時、例え面白いシーンを思いついても、それが少しでもお客さんにとって「予想外」だったら面白さは半減します。「違和感」が先行してしまうからです。どうしてもそのシーンをやりたいなら、その壁を乗り越えるために必要な助走を前のシーンでつけておく必要があります。つまり、そのキャラがそういう行動をとっても不思議ではないな、とお客さんが理解できるような、別のシーンを新たに加える必要があるのです。ムリがなければ加えてもいいでしょう。

例えばここにある男がいます。そいつは、おどおどしていて、すごく人見知りで、人と喋るのが苦手で、自分の意見を主張するのが苦手で、ものすごく泣き虫だとします。
また、ここにある美容師がいます。こいつはすごく楽観的で、ものすごくバカです。しかもあろうことかおしゃれにうとく、「ツーブロック」という髪型の存在を知らないとします「んー・・ブロッコリーみたいな髪型のことかな?」とか思ってます。
おどおど男が、おしゃれな友達に「お前もツーブロックにしたらかっこよくなるのに」とか言われて、かっこいいツーブロックが自分に似合うか半信半疑になりながらも美容院に行きます。そしてなんとさっきの美容師が担当に当たってしまいました。男は「ツーブロックでお願いします」と言います。鏡を見ながら、どんどんブロッコリーみたいな髪型になっていくのを見ながらも、気弱な男は何も言い出せません。しまいには泣き出してしまいました。美容師は「いやー泣くほどかっこいいツーブロックになるのが嬉しいのか。この仕事をしていてよかったなあ」とか思っています。

はい。面白いですね。なかなかおもしろいですね。面白いです。
このお話で、いかに最初のキャラ説明が重要かわかりますか。例えばこのお話で、気弱な男が泣き出すシーンと、バカな美容師が「感謝されてるなあ」と勘違いするところは笑いのシーンです。笑ってほしいシーンです。ですが、このシーンで笑うためには彼らがどういうキャラか事前にお客さんにわかっていてもらうことが必須条件です。試しに最初のキャラ説明を抜きにしていまの話をもういっかい見てみましょう。

ここにある男がいます。おしゃれな友達に「お前もツーブロックにしたらかっこよくなるのに」とか言われて、かっこいいツーブロックが自分に似合うか半信半疑になりながらも美容院に行きます。男は「ツーブロックでお願いします」と言います。鏡を見ながら、どんどんブロッコリーみたいな髪型になっていくのを見ながらも、気弱な男は何も言い出せません。しまいには泣き出してしまいました。美容師は「いやー泣くほどかっこいいツーブロックになるのが嬉しいのか。この仕事をしていてよかったなあ」とか思っています。

ね。どうですか?何もかも急すぎて、笑えなくないですか?全然さっきの方が面白くないですか?まず「ブロッコリー」っていう単語が出てくるのが急すぎませんか?さっきのキャラ説明ありのお話だと、

「んー・・ブロッコリーみたいな髪型のことかな?」とか思ってます。

の一文があるおかげで、こいつが「ブロッコリーみたいな髪型に仕上げる」という予想がつきます。もう100%こいつは「ブロッコリーみたいな髪型に仕上げ」ます。間違いありません。

そうやってお客さんは予想できちゃうんだけど、予想出来ちゃった上で予想どおりのことが起きるんだけど、笑える。予想できた方が笑えるんです。予想できたら、予想できた瞬間に笑えるんです。たとえばこれを舞台か映像でやるならば、気弱な男が、友達にツーブロックを進められて美容院に行き、そこにさっきの美容師がいた瞬間に、お客さんは「この男はこの美容師に髪を切られる」ということと「ブロッコリーにされる」ということと「途中でやめてとは言えずに完璧なブロッコリーになる」ということが簡単に予想できます。

これくらいがっつり予想させることが大事なんです。

・・・おっと。今の脚本に少しミスがありました。気弱な男の年齢を書いていませんでしたね。中学生くらいが一番おもしろいでしょうか。少なくとも、「大人の男」だと思われるとまずいです。なぜなら「大の男が泣くんじゃない」とお客さんに「嫌われて」しまうかもしれないからです。覚えていますね?嫌われると笑ってもらえません。お客さんはキャラ紹介の時点で「いや、大の大人がおどおどしてんじゃねーよ、しっかりしろ」と思ってしまうかもしれません。そうなるとお客さんはもうそのことが気になってしょうがなくなってしまいます。嫌われるとアウトです。もっと言うと、共感してもらえないとアウトです。中学生にしておけば「おどおどしてて泣き虫な男子中学生いるよねw」と共感してもらえる可能性が高いです。これが笑いにつながります。

脱線しますが、「共感できないとそればっか気になっちゃう」というのは喜劇以外でもありますね。僕は魔法少女まどか☆マギカを見ていて、まどかの「全部守りたがる平和主義」なところがどうも共感できず、見ていて不快に思ってしまいました。また、こないだ友達が「デート ~恋とはどんなものかしら~」を見ていて、「主人公のニートがなよなよすぎて不快だった」と言っていました。まどかの件もデートの件も、他の人からすれば「そこは物語において注目すべきポイントでもなければ大事なとこでもないないよ!」と言われるようなことですが、これが人によっては物語を楽しむ上で大きな弊害となります。とはいえ、個性的なキャラを書こうと思えば万人に好かれるというのは難しいので、割りきって「ターゲット」を決めて書くしかありません。

へりくだれ。自尊心を捨てろ。相手を持ち上げろ。

笑いの話に戻ります。笑いは安心感・好意(好きになれないと笑えない)が大事だと言ったことに繋がりますが、エンターテイナーとして誰にでも笑ってもらいたいのなら誰よりも「下」になることが大事だと思います。世の中の大抵の男は自尊心が高く、持ち上げてもらうだけでいい気分になります。舞台が終わって、役者が外にでてお客さんがぞろぞろと出てくるタイミングでは、ただただ「見てくれた」「見るために時間を割いてくれた」「お金を払ってくれた」ことに感謝し、ひれ伏しましょう(←?)と言うと語弊がありますが、絶対に失礼な態度はとってはいけません。一人ひとりに感謝する気持ちを心の底から持つことができれば一人前のエンターテイナーです。知り合いも友達も親友も赤の他人も、すべてのお客さまに対して最高の感謝の気持ちが持てればエンターテイナーです。常に一人でも多くのお客さんが見に来てくれることを願えれば立派なエンターテイナーです。客席数と、公演回数を決める段階で、一人でも多くのお客さんに見に来てもらいたいと心の底から願えれば立派なエンターテイナーです。帰り際のお客さんの満足そうな顔を見て、最高の喜びを感じることができ、握手してください、写真撮ってもいいですか?のひと言ひと言に全部対応してあげたくなる気持ちが湧き上がれば立派なエンターテイナーです。

いろいろ思い出して胸が熱くなってきましたが話を戻そう。

「自分が相手を笑わせること」より「相手が笑うこと」を心から願うことができる人がどれだけいるでしょうか。少なくとも本番当日はそのような意識を持ちましょう。クラスの友達と話すときも持てたら一人前。かっこいいですね。「自分が笑わせたという満足感」だけを求めて人と話していると、すぐにボロがでてその自己中な気持ちがばれてしまいます。嫌われたら笑ってくれません。

人を笑わせるのが好きな男子はたくさんいますが、多くの場合自尊心が邪魔をしています。残念なことに、自尊心は女子よりも男子の方が顕著に表に出る場合が多いですね。自尊心はエンターテイナーにとって悪でしかありません。「自分が相手を笑わせること」より「相手が笑うこと」を心から願うことができない人は、飲み会で他の男子が自分より笑いをとっているだけでその男子を憎み始めます。僕もよくあります(←ドーン!)が、よくないよくない、と思って頭を冷やします。「みんな笑っている。それでいいじゃないか」と思うようにしましょう。

多分、笑わせるのが好きな男子はみんな気づいていますが、「男子よりも女子の方がよく笑ってくれる」という法則があります。確実にあります。クラスのおとなしい女の子たちは格好のエモノ(←よくない表現)です。笑わせたくてしょうがありませんね。また、大学4年生からして、「よく笑ってくれる新入生の女の子」ほどかわいい存在はありませんね。もう大好きになってしまいますね。

なぜ男子はあまり笑ってくれないのでしょう。特に、人を笑わせるのが好きな男子はなかなか笑ってくれません。「笑わされてたまるか」というバリアを張っている可能性がありますね。逆に言えば、先輩のギャグに毎回ツボってくれる新入生男子はそれだけで先輩に愛されるので、気に入られたい新入生は覚えておこう。というか新入生でなくとも、「とりあえず笑っとけば『笑わせたがり』に好かれる」と覚えておこう。

で。でね。世の中にはたちの悪い「自尊心を保ちながら笑いをとろうとする男」がたくさんいますね。笑いをとりたければまずへりくだりましょう。プライドを捨てましょう。自尊心を捨てましょう。バカにされてもへらへらしてましょう。自分よりも「何か」が下の人に、「『何か』が上」発言をされても、「は?おれお前よりは「何か」において勝ってるし」とすごんだりせずに、「えへへ」と言いましょう。はいでました。えへへ。覚えていますね。皆のいる場で空気をにごさずにへつら笑いをすることは日本においてとてもとても大事ですね。空気を悪くする人は嫌われますね。はいでました。嫌われるとおしまいです。

世の中には「いじられキャラ」というのがありますね。いじる側が、いじられ側を小馬鹿にして笑いをとる、「いじり笑い(←いま命名)」というのがありますね。多くの男子が誤解していてたくさんの厄介事、嫌な雰囲気をまき散らしていますが、このいじり笑いとは、「いじる側といじられ側がお互いに自尊心を捨てられている場合にのみ笑いが起こる」ものです。これは非常に非常に高等なテクニックで、そこらの男子にできる芸当ではございません。誰かをいじって笑いをとっている男子諸君!君は自尊心を捨てられているか!いつでも「いじられ側に自分が転じたとしても完璧にいじられキャラを演じること」ができるか!相手がいじられキャラであることを利用して相手をバカにして自分の自尊心を満たしてはいないか!もしもそうならそれはエンターテイメントではなくただのいじめだ!恥を知れ!

「いじられキャラ」の人が好き好んでいじられキャラをやっている可能性はいかほどのものなのだろう。たぶん1割にも満たないのではないか。多くの学校で、多くの人が不本意ながらいじられキャラをやらされ、自尊心を削り取られながら、イライラしながら、いじられ側の自尊心の回復を手伝わされているのではないだろうか。

みんな笑っているからたちが悪い。そういう空気が一度出来上がってしまったらいじられ側もいじり側もやめにくい。自尊心を捨てられたいじり側が行動に出るしかない。

エンターテイナーになると決めたのなら、笑わせようとした相手に「何をバカにされても怒らない」と胸に誓おう。君がめっちゃバスケ強くて、バスケ愛してて、笑わせようとした相手にバスケを「ただの玉つき遊び」とバカにされても、「まあ似たようなもんだなw」と笑い飛ばしましょう。ちょっとでもイラッとしたら負けです。よくあるのが、ちょっとしたイラッをこらえようとして、その場の空気も守ろうとして、でもちょっとだけイラッを発散させたくなっちゃって「玉つきばかにするなよ!ww」みたいな中間のつっこみを入れてしまうという現象ですね。そういう「隠れイライラ発散」は大体ばれてしまいます。隠せません。言い方に出ます。いくら語尾に「ばかにするなよ!www」とwをつけても無駄です。笑いながら言っても無駄です。あなたが彼らを「笑わせたいな」と思った時点で、全てにおいてあなたは完全に敗北した場所からスタートしなければいけないのです。「ただの玉つき遊び」とか心のないことを言うようなやつには少なからず自尊心があるのでしょう。そんなやつを笑わせようとした時点で間違っているのです。

ですが、舞台をやったときのように、無差別にたくさんのお客さんを笑わせようとした時は、自尊心の塊が相手の中にまぎれていても仕方ありません。だから諦めるのです。エンターテイナーはピエロです。ピエロはバカをやってバカにされて笑われるのが役目なのです。「おいらが泥まみれになって笑ってくれるならおいらはそれでハッピーさ」と思えなければならないのです。あなたが下で、お客さんが上です。喜劇に「お互いを尊重する心」は必要ありません。少なくともお客さんが劇を見終わって「サイコー!面白かった!これ作った人すごい!」と、こちらを「クリエイター」として尊敬してくれるまでは。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です