僕は1年以上先の目標を達成したことがない

こんにちは!煮え湯を飲まされるようなことにはなりたくないけど、「煮え湯を飲まされた」って言ってみたいです!ガストンです!

目標というものについて。

夢は叶わないが目標は叶う

夢は叶わないが目標は叶う、という言葉があります。中学生の時、特別講師みたいな人が学校にきて、全クラスの生徒を多目的ホールみたいなとこに集めて講義してくれたことがあって、その人が言ってました。名前も、どんな仕事をしてた人かも忘れてしまったけどこの言葉だけは覚えてる。強烈に「たしかに〜」と思った。もう言い方が強烈じゃないけど。夢を夢だと思っている時点でそれは夢のまま終わる。でも夢を目標として捉えて、その目標を達成するために具体的な道順を考える。そうしていくとその夢は夢じゃなくなる。という話。たしかに〜

目標の遠さの限界

目標には、達成可能な期間の限界がある。「1週間後までにこの課題を終わらせる」という目標は達成可能でも、「今年中に本を100冊読む」という目標は達成不可能だったりする。遠いところにある目標を叶えるのにはそれ相応のエネルギーが必要である。例えば、「新年の抱負」をちゃんと達成している人はどのくらいいるだろう。僕は「新年の抱負」というものを抱いて意義があった試しがないし、新年の抱負を1年間忘れずに実行できたという人の話を聞いたことがない。「新年の抱負」なんてものは単なる「心意気」でしかない。心がけて終わる。

epa!が人生最長の1年先の目標だった

長い期間を要する目標を達成するのは難しい。僕はこれまでの23年間の人生を振り返っても、最長で1年だ。epa!という舞台制作サークルが僕の最長記録だ。2011年の11月2日からepa!12が始まって、その時から2013年の10月末の芸術祭のことを1年間考え続けた。1日でもepa!が頭から離れた日はなかった。1年間先を見据えて、1年分の計画を立てて、それを実行し、完了させたという経験は今のところ人生でこれしかない。これだけしかないのだ。

でもこれは、僕にとってはとてもすごいことだった。epa!は大学の卒業制作より真剣だった。真剣に、3日間の芸祭のために362日を使った。

大学受験も違った

大学受験はどうか。高校1年から3年まで、3年間ひとつの目標に向けて計画を立てて頑張ったと言えるだろうか。僕の感覚では言えない。センター試験を意識しはじめたのは3年生になってからだ。大学1年と2年のときは、ひたすらに「英数クラス」に入るために勉強した。学年で成績のいい人が入れるクラスだ。大学1年のときになぜか英数クラスに入れて、そのクラスがとても居心地よかった僕は、翌年も英数クラスに入るために必死で勉強した。英数クラスは年4回の実力テストというテストの点数で決まるので、常に次の実力テストを目標として勉強していたことになるので、目標の期間は長くて3ヶ月だ。

多分、高校1年生の時から3年後の大学入試をリアルに想像してその日までの3年間の具体的な勉強の計画を立てていたという人はそうそういないんじゃないか。そんなの高校1年生にとってはほぼ不可能に近いんじゃないか。

達成できなくても反省しなくて済む目標を立てているね君は

達成できなくても気にならないようなあやふやな目標を立てて満足している人がいる。痩せたい人がいたとして、「何月何日までにマイナス何キロ」と言わずにただ「大食いをやめる」と言う人がいて、成功するだろうか。具体的で、かつ「達成できたかできなかったか」が客観的に明らかにyesかnoで言えない目標は掲げるだけムダだ。

例えば、epa!の引き継ぎ資料で「もっと班同士のつながりを増やした方がいい」だとか「衣装を着てのパフォ練をもっと早くからやるべきだった」という文章を残して、何の役に立つというのだろう。それを読んだ人は、「心がけて終わり」である。「来年は班合同で飲み会をしたらいいと思います」とか「9月のうちに最低2回は衣装を着てのパフォ練をすべきだと思います」とか言ってくれたらいいものを、そういう具体的な提案はせずに「今年はこういうところがよくなかった」ということを抽象的に書いて「もっとこうなればいいと思う」ということを抽象的に書く。みんなそれで満足している。意味がわからん。

劇むさで、例えば「作演の人がもっと役者の意見を取り入れた方がよかった」という反省を残したところで、何が変わるというのだろう。これもこのままでは「心がけて終わり」だ。「月に一回ガストに行って役者と作演でご飯食べながら演出について話し合う会を2週間に一回持つようにすればいいと思います」という反省のひとつも残せばいくらか有意義だと思う。もちろん、その提案を採用するかどうかは翌年の人たちが自分たちで決めればいいのだ。先代の言いなりになる必要はない。取捨選択は後輩にまかせて、先輩はもっと具体的な提案をじゃんじゃんすべきだ。反省とか理想論は役に立たない。引継ぎ資料に必要なのは「結果」と「提案」であり、「感想」と「反省」ではない。まあ、引継ぎ資料なんてものはただの紙で、結局は後輩が先輩と飲みに行くのが一番手っ取り早いとは思うのだけど。

自分で目標を立てるとき、「もっと頑張ろう」とか「もっと気をつけよう」とか「もっと〇〇しよう」とかは、ただの心意気であり、まるで意味がない。どうせ1ヶ月後にはその心意気は跡形もなく消し去っていて、しかも「自分は意思の弱い人間だ」と自信をなくす恐れさえある。

自分を変えたければ、環境を変えるしかない。バイトをする。サークルに入る。習い後を始める。引っ越しする。テレビを捨てる。マンガを捨てる。定期を買う。友達と一緒に何か企画を立ち上げる。留学する。自分の「意気込み」を過信して失敗するよりよほど確実である。

そもそも自分の意思がどれくらい弱いか、強いか、どういうときに強いか、どういうときに弱いかなどを20歳にもなったら大体わかってないとおかしい。「あ、このままだとおれこの目標達成できないな」とか「あ、今晩飲みに行ったらおれ帰宅したあと課題できないな」とか、そういう未来を予測できないといけない。

『「明日やる」と言いながら寝れば、「明日やらない」。
「明日やる」と言いながら寝かけた後に体をグァバっ!と起こして1秒でも作業を進めてから寝れば、「明日やる」。』

自分という人間はどうもそういう風にできているらしいぞ、というような自分の仕組みに関する発見を日々続けるべきだ。

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