作・演出は迷走するのが当たり前

こんにちは!目玉焼きは塩胡椒派です!ソース!?一生食わず嫌いだ試してたまるかカバ野郎!ガストンです!

演劇の脚本書いたり演出したりしてるガストンです。作・演出という役職です。こないだなんかの本でどっかの誰かが「(演劇において)作・演出は必ず迷走するものだから」と言っていて、「ああおれだけじゃないんだ」と心底安心しました。ガストンは悪くないのです。例えガストンが本番2週間前に脚本を大筋から書き直そうと、自分が書いた脚本通りにやっている役者に対して「セリフ違う!」と理不尽な怒号を飛ばそうと、ガストンは悪くないのです。作・演出とはそういうものなのです。おや?人と人とのつながりがプツンプツンと切れる音がする… はい。作・演出の迷走について。

もちろんガストン反省してる。だからどうかつながりを大事にしてほしい。ガストンから離れないでほしい。本当は、本番2ヶ月前くらいにストーリーもキャラ立ちも完璧な脚本が出来上がって後は練習するだけ、という状況にするのが理想だしそうなりたいと思う。でも現状難しいので対応を考えたい。なので今日のテーマは、「作・演出が迷走するのは当たり前だから、みなさんそれを前提に作・演出と付き合っていきましょう。だって作・演出が迷走するのは当たり前なんだから。え?なんだと!お前ら作・演出やったこともないのにわかった風なこと言うなよ!プンプン!」です。あれ?人と人とのつながりがブチンブチンと切れる音が…

作演→役者→裏方→ゲストの順に迷走する

演劇っていうのは要は1時間分ぐらいの会話を丸暗記して身振りまで覚えて、同じことを何週間も練習して、同じ1時間を何度も表現できるようにする作業なわけだけど、はっきり言ってこんなの正気の沙汰じゃない。やってるうちに何がいいのかわからなくなるのはもはや当たり前だという前提で対策を考えたほうがいい。

で、作演は、自分が迷走してる自覚持ち始めたら役者に相談すべし。で、役者も迷走自覚持ち始めたら裏方に見てもらうべし。裏方に見てもらえると大抵の迷走は解決する。でも何度も通しを裏方に見てもらってると裏方も何がいいのかわからなくなってくる。その時最後の頼みの綱として、試演会なるものをしてゲストに見てもらう。つまり、通しを数人の外部の友達に見てもらい感想をもらう。とてもいいアドバイスがもらえる。根本的で、かつ誰もが見て見ぬフリをしていたことなどを突き止められて全てを変えることになる(コモーディア!の体験談)。

何枚も予防線を張ることが大事。作演は1人で閉じこもらないことが大事。

脚本の軸を忘れるべからず

ずっと同じ漢字を見てると何の漢字かわからない感じになる感じをゲシュタルト崩壊という。あの感じが脚本にも言える。

脚本を書き始める前に、この脚本で一番大事なシーンはどこか、一番大事なセリフはどれか、コンセプトは何かといった、「脚本の大事なところ」を自分でわかってるかどうかが、2ヶ月後ぐらいに響いてくる。3万字の戯曲を何度書き直しても、合計10万字ぐらい書いては消しを繰り返しても、ここがわかってなければいつまでも自信作と呼べるものにたどり着けない。

この辺を最初に役者・裏方とみっちり話しておく必要がある。脚本が出来上がってから自信を持つのではない。自信を持ってから脚本が出来上がる。

作演が黙り出したら外へ連れ出せ

作演が「脚本書くからしばらく役者練なしで」とか言って一週間くらい音信不通になったらアウト。外へ連れ出せ。会え。会ってやれ。作演はお前らを待っている。お前らが窓を突き破って手を差し伸べてくれるのを待っている。

作演は時間と比例していいものを作れなきゃだめだ。アイデアが降ってくるのを待っていちゃだめだ。そして作演以外は、作演に任せっきりにしちゃだめだ。「作演に任せておこう。それでもし駄作が出来上がっても作演のせいだ」なんて思ってる人はもう舞台やめてしまえ。役者にも裏方にも「いい舞台作りたい」という情熱は必要だ。それはつまり「多少演出に首を突っ込みたい」ということだ。作演はただの責任者であり、作るのは全員だ。全員で作るのだ。舞台班が納期を守らなかったら怒る。役者がいつまでもセリフを覚えなかったら怒る。同様に、作演がいい戯曲と演出をしてなかったら怒っていいのだ。作演が一番偉いみたいな雰囲気があるからしにくいというだけで、すべきだ。作演と役者、裏方が意見をお互い言い合える風通しのいい団体にすべきだ。

以上。

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