月別アーカイブ: 2013年2月

バイトすることについて

こんばんは。今5時間勤務から帰ってきて風呂入って洗濯して干してコーンフレークを食べようとしたら牛乳がなくてがっかりしたところのグストンです。

今日友達とバイトの話で意気投合して気持ちよかったです。というのも、

学生が遊ぶ金欲しさにバイトするのはかっこ悪くね!?

バイト一回してみなよとかすすめたり、バイト一回もしたことない人を若干バカにするのおかしくね!?バイトしてるからって偉くもなんともなくね!?

グループワークの会議を欠席するとき「バイトだから」って言ったら「じゃあ仕方ない」って許される感じ何アレ!?仕方なくなくね!?学生の本分はどっちよ!?

バイトしたらコミュニケーション能力つくとか言うけど、おれバイトしてないけどバイトしてるお前よりコミュニケーション能力ある自信ありまくりだよ!

生活費とか学費とかギリギリでバイトするならそりゃもう仕方ないよ!?でもぶっちゃけそうじゃない人多いでしょ!?そのくせにバイトしたことない人小バカにするとかグループワークの会議休んで平気な顔してるとかもうホントに信じらんない!!

ということですね…

1年の時から僕はこんなふうに思ってましたし、バイトを始めた今でも思ってます。

なんで僕が今バイト(ラーメン屋)しているのかというと、僕は1年の時から生活費や学費において金銭的にそんなに困ってなくて、真剣に打ち込んでいた学校のサークル(epa!)で忙しかったのでバイトなんてする気にもならなかったのですが、サークルも終わり、暇になり、遊ぶ金を親にねだったら「バイトもしてみい」と言われ、前々から周りの友達からも「バイト一回してみた方がいいよ」と言われていてもともとちょっとだけ興味があったのもあり、バイトすることにしたのです。家から近くてまかないも出て時給も悪くないということで今のところを選びました。

今、3ヶ月目です。もう研修期間も終わり、かなり慣れてきました。で、バイトやってみた今のところの感想はというと…

周りの友達が言っていたほどいいもんじゃない。思っていた通り。こんなもんかーって感じ。覚えさえすれば誰でもできる面白くもなんともない仕事を淡々とこなしていつも同じこと繰り返すことが僕は耐えられない。なんで第一志望の大学に受かってこんなことしてるんだおれ、ってなって耐えられない。コミュニケーション能力なんて微塵もつかない。てかもとからあるわ。店長よりも誰よりもおれコミュニケーション能力あるわ。ついたものといえば「かしこまりました」を早口で言うこととか「グリル」っていう鉄板系専用の洗剤はめちゃ強いから直接触ったら危ないよ!っていう豆知識とか女子トイレには男子トイレにはない特別なゴミ箱が個室内に設置されているという知識とかそんなん。超どーでもいい。

でも、やってよかったなとは思う。こんなもんかーってのが知れたから。だから、もういい。このバイトはやめようと思ってる。もう十分「バイトってどんなもんか知る」という当初の目的は達成した。将来は絶対飲食店で働きたくないなと思った。おれたちまだ学生なんだよ。未来を選べる若者なんだよ。親が自分の人生に投資してくれてる間にすべきことがあるだろうがよ。

ちなみに、おれはデザインの専門学校でTA(ティーチングアシスト)のバイトもしているんだけど、そっちは自分の目指す将来と繋がってるからいいと思うんだよ。そういうのは全然いいと思うんだよ。目的がお金じゃないからね。経験だからね。

ちなみにちなみに、いろいろ書いたけど実際のところ、遊ぶ金欲しさにバイトすることに関して、カッコ悪いなーとは思うけど、否定はしない。個人的な意見としてダサいとは思うけど、そういう生き方というか選択そのものを否定することはおれにはできない。そこまで「親から学費出してもらっている生活の有意義な過ごし方」についての考えが定まっているわけではない。

まあダサいとは思うわけだけど。

個性は実力の上にできると思う

こんばんは。夜の7時くらいから12時まで寝てそれからずっと起きてて今朝の4時で全く眠くないのでこのままオールする予定の昼夜逆転男、グストンです。

今日は「それは個性とは言わない、ただの不足だ」と思ったりすることがあるという話。これから言う個性というのは人間性の個性ではなくて能力や得意分野の話ね。「このアートディレクターは特に人の温もりや空気感といったものを表現するのが上手いなあ」とか、突出して得意なものに対して言う「個性」ね。

人って個性的なものが好きなもんでね。例えばテニスの王子様とか、人によって得意不得意がある。データやたらかき集めるやついたりパワータイプがいたり基礎がとにかくしっかりしてるやつがいたりする。漫画やゲームなどでは必ずキャラクターごとにそういう「個性」がある。その人だけにしかない特徴がある。この人はこれが得意だけどこれが不得意、でもあの人はそれが得意で逆にこれが不得意、みたいなのがはっきりあると、傍観者としてはとてもおもしろい。

 でも現実で考えた時に大事なのは、彼らは全員、そこそこデータは集めるし、そこそこパワーはあるし、そこそこ基礎はしっかりしているということ。つまり個性は必要最低限のオールラウンドの上に、特に突出しての自分だけの武器として持つものだということ。最初っから「パワータイプとかかっこいいからおれはそれでいこう」とかゲームみたいなこと考えてる人はなかなかうまくなれないはず。

 現実で多くの人が個性というものがとにかく好きで、すぐに「おれの個性はこれ」みたいなのを持ちたがるし持たせたがる。 

 例えばムサビはいろんな学科があり、それぞれ専攻しているものが違う。そこで、いろんな学科の人を集めて一つのものを作ったらそれぞれの個性が生きてすごいものができそう!!とか考える人がいるがこれは全く持って盲目的

に幻想的に個性を美化して見ているにすぎない。デザイン情報学科の人がパソコンのことならなんでも知ってると思ったら大間違いだし、空間演出デザイン学科の人が空間ならなんでもお手の物だと思ったら大間違いだし、視覚伝達デザイン学科の人がポスター作るの得意だと思ったら大間違い。ポスター作るのが上手いのは、「視デに属している人」ではなくて「グラフィックを勉強しててポスターとか作ったことある人」である。知識と経験は学科で一括りにはできない。

また、僕がepa!で学んだことを例に挙げると、例えば班分けがある。epa!はパフォーマンス班や舞台班など、7つの班に分かれて制作する。それぞれ自分たちの班に任せられている役割があるが、「これはあの班の担当分野だからおれたちにはわからない」と仕事を投げ出すようなことは絶対にしてはいけない。例えば印刷に詳しいパフォーマンス班のスタッフが、そこまで印刷に詳しくないメディア班の制作状況を把握していれば何かアドバイスできるときが来るかもしれない。メディア班はメディア班なんだから印刷に関してはおれよりも詳しいはず、と思い込むことの積み重ねで全体としての作品は残念なことになっていく。人の能力を盲目的に「個性」と呼び、それを過信してはならない。

 しつこく例をもうひとつだけ挙げると、ぼくが友達が自分のグラフィック作品の感想を求められて、その作品を見ていた時のこと。僕は「すべてにおいてまだまだ手数が足りない」と感じていた。しかし一緒にいた別の友達は「これはこれで◯◯さんらしさがあっていいんじゃない?変にプロっぽいのを目指すよりも◯◯さんの個性を大事にした方がいいと思う」と感想を述べた。僕はこの時まさに「個性って(笑)」と思った。その作品のどこにも個性はなかった。ぼくは「個性は実力の上にできるものだと思う。まずは最低限のレベルに達するべき」と正直な感想を述べた。

マンガやアニメでは焦点を当てて描くキャラが数人に限られ、その人たちに個性が与えられる。「炎タイプの能力者」は一人か、そのライバル的存在としての二人で十分だ。かぶっちゃいけない。しかし現実にはその分野で戦う人が何万人何十万人といて、その一人一人に個性もくそもない。みんな修行中である。ONE PIECEの世界で海軍のザコい一兵士の日常が描かれることはない。彼らは修行中で、個性がなく、描いた所で面白く無いからだ。個性があるのはせめて大佐以上になってからだ。大将ともなると能力も呼び名も個性的でめちゃ面白い。しかしザコい一兵士はこれに憧れて「アイスブロック!」とかモノマネしている暇はない。ザコ一兵士が「おれはパワータイプ!!」とか言った所でそれはパワー以外の能力の不足でしかないし、その自信満々のパワーすら大将のそれの足元にも及ばない。

修行中の者も、人間性にはもちろん素敵な個性があるのだろうが、こと能力に関しては個性などまだまだない。本当の個性は、実力がついてから誰かが後付けしてくれるものである。

卒展見て思ったこと-人の役に立つもの作りたい-

ご無沙汰してます。最近の廃人っぷりがブログの更新頻度に顕著に表れているグストンです。書かないこともまた記録です。つって。

今日友達と話してて出た話で、僕が「人の役に立つものを作りたい」という話。話して久しぶりに「あーそうだおれそう思ってたんだ」と思うこともあります。

デ情の卒制の話なんですが、デ情の卒制って基本なんでもありで、企画の提案でもいいし映像でもいいしデザイン論語る冊子でもいいし絵本でもいいし写真でもなんでもいいんです。そんな中、「ああおれ自分の卒制ではこんな感じのが作りたいなあ」とちょっとだけ思ったものが一個ありました。

鈴木 史彦先輩の卒業制作展示検索テーブル」というやつで、写真を撮らなかったことを後悔しながらどんなやつだったか説明すると、「デ情の卒展を見て周るのを快適にする卒制」だったんですね。デ情の卒展の受付の横に設置されていて、興味がある卒展をすぐに見つけられて、展示スペースへの行き方も表示してくれるというものでした。

僕がなんでこれいいなと思ったかというと、人の役に立っているからです。最初はピンと来ませんでした。なぜならこの作品の使命は卒展の数日間だけで、しかも「卒業製作」がそんな「おもしろくてちょっと便利だね」で終わってしまうようなものでいいのかとも思ったからです。しかし後々考えてみたら、そもそも何の役にも立たないし何が言いたいのかよくわからないし自己満足で終わっている(または満足さえできずに終わっている)卒業制作がたくさんある中で、数日間人の役に立ってちょっとおもしろがられたならそっちの方がずっといい、と思ったのです。この作品には存在意義が少なくとも感じられました。

僕はそもそも、人の役に立ちたい、という考えがかなり昔から脳みそにへばりついてるみたいです。大勢でカラオケに行けば、どうしても、自分が歌いたい歌ではなく、歌えばみんなが盛り上がってくれたり楽しんでくれると思った歌を入れてしまいますし、飲み会を開けば、どうすればみんなが楽しめるかよくよく考えますし、webデザインの専門学校でティーチングアシストのバイトをしたときはサービス残業しまくってバイト時間外も生徒の質問に答えたりします。今自分は人の役に立っているという実感が生きがいをもたらします。

何も僕は「卒展をより快適に楽しむツール」を2年後作りたいと思っているわけではなくて、「ひと目ですぐにそれのよさがわかり、尚且つ実用的なもの」を作りたいのです。例えば「これ、普通にお金払うから欲しいわ」と思えるような冊子だとか、「こんなwebサイトもしほんとにあったら普通に使うわ便利そう」とか思えるようなものとかです。また媒体はものでなくても、企画の提案などでも「これはいいな」と思えるようなものならいいと思います。

別の視点から話せば、ぼくは「これの何がどういいのかよくわからない芸術作品」とかに見向きもしません。感性とやらが乏しいのかもしれません。僕は「これの何がどういいか一発で誰にでもわかる」ものを作りたいです。わかりやすいのは好きです。

でもそれが一番むずかしいんだと思います。

課題発見という伝説の課題がデ情1年のときにありました。5,6人のグループワークで、一日3時間で1ヶ月かけてやるんですが、課題は「仮想の会社を設立し、社会の問題点を見つけ、それを解決しなさい」というものです。条件はほんとにそれだけなんです。「社会の問題点」に制限は全くなく、ささいなことから深刻で大きな問題までなんでもありです。ムサビ内の食堂をより使いやすくする企画を提案するグループもあれば、日本中の通勤をより快適にするためのアプリを提案するグループもあれば、なんでもありです。ただし企画は最終プレゼンの前に学科の教授数人からGOサインをもらわなければなりません。

そして、GOサインをもらうために教授に企画を説明する段階で、実にシビアな要求を教授たちはしてくるのです。「それは資金面で現実的じゃない」とか「それは君たちが今年やったとして来年からは誰が運営するの?」とか「そのサービス、もうあるよ」とかやたら現実的なことを平気で言ってきます。「実際にやるわけじゃなし、課題なんだから勘弁してよ」と嘆きたくなりますが、この課題で「便利であふれるこの時代に自分にしかできないことをするは並大抵のことではない」ということを学びました。必死になって「今の社会で、なんかおれにしかできないことないかな!?」と問題を探し続け、必死になってその解決方法を探さないと、「もう誰かがやってる」という壁にぶち当たります。

たくさん勉強して、いろんなサービスや便利なものなどの事例を知って、たくさんの知識をつけて、社会をよく見て、自分に解決できそうな問題点を見つけて、それに向かって全力で出来る限りを尽くし、その結果は誰にでもひと目でその意味や便利さや言いたいことがわかるほどシンプルなものに落としこみ、実際に人の役に立つ。そんな卒業制作ができたら、というか卒制だけと言わずそんなものづくりを生きてる間に作っていけたらこれ以上のことはないと思います。