月別アーカイブ: 2013年11月

顔いいねえと、声いいねえ

こんにちは!両手で最大20回骨鳴らせます。ガストンです!

声いいね、は大丈夫

こないだ学校で、男の先生が女子生徒に「声いいねえ」って言ってました。セクハラではありません。その授業は、ある論述を学生が段落ごとに順番に読まされるもので、今日は誰々と誰々が交互に読む、ってのが予め決まっている、つまり一回の授業で読む人は2人しかいないということになっていました。

授業が終わった後、その授業で読み手をやってた女子学生が教授のとこになんか提出しに行った時に教授がサッと嫌らしくなく言ったのでセクハラ感は皆無でした。女子も、あ、そうですか、ありがとうございます、という普通の反応でした。

顔いいね、はだめだよね

はい、今までのが「声いいね、が大丈夫だった現場」の例ね。

でも顔いいね、はダメじゃん。その例はないんだけど、間違いなくどんな状況でも言っちゃダメじゃん。なんでだろって思って。

例えば僕が初対面の女の子に対して顔いいねとか、顔可愛いねとか言ったら即「チャラ男」のレッテル貼られるわけじゃん。いけすかん。なんで。

例えばおれが誰かに「可愛いね」って言うじゃん。おれとしては「目が大きくて涙袋があって肌が綺麗で歯並びがいい」女の子を「可愛い」と認識しており、「あなたはそれに該当してますね」と言っているに過ぎないのに、言われた方はまるで顔以外も肯定された気になったり、こいつは私を狙ってんのかと警戒したり、色々考えちゃう。

顔の各パーツのバランスが自分の中の「可愛いモデル」と近かったというだけなのに。

なんで声いいね、とか爪綺麗だね、とか優しいね、とかは普通に嬉しいだけなのに、顔いいね、になると空気が変わるんだろう。

なんで声いいね、はセクハラにならなくて顔いいね、はセクハラになるんだろう。

後輩にイラレ教えることになった

こんにちは! エコとエゴは紙一重!ガストンです!

「イラレ教える」ということの難しさ

僕の周りにはイラレ(Illustrator)やフォトショ(Photoshop)を教えてほしいという人がたくさんいます。もしロリ顔でバカっぽくて可愛い年下の女子大生(できれば女子高生)にこんなお願いをされてしまったらいくらでも教えてあげたくなってしまいますが、でも簡単に「教える」と言ってもこれって実はすごく難しいことなのです。 例えば仮にそういう人を数人集めて(できればハーレム状態で)パソコン教室みたいなのをやっても、その日紹介したツールの使い方とかはその後それぞれの生徒が自分の制作で使っていかないと結局は身につきません。 イラレなどのパソコンのツールは、語学学習などと同じで、使い続けないと使い方を忘れてしまいます。 また、ある程度まで使えるようになると、「ググれば大抵わかる」という事実に気づきます。なので単純にツールの使い方を教える、というのはとても非効率的だといえる。

で、この度後輩に「イラレ教える」ことにした

で、こういった難しさを踏まえた点で、今回、あえてある後輩(以下N子)にイラレを教えることにしました。 つまり今回の目標は、「本人に『自分はイラレあんま使えない』という認識がなくなるレベルまで使い方教え、ついでにデザインの基本も教えられるだけ教え、かつ、ググれば大抵わかるという感覚を掴ませ、かつ、恩を売る」ということになります。 かつ、あわよくばあんなことやこんなことも教える、といきたいところですが、何分、N子は夢に描いたロリロリ女子高生とは程遠い後輩であるためこれは叶いません。悪しからず。

具体的な戦略

先にも言ったようにパソコン教室では意味がないので、具体的な課題を与えることにしました。やる気を出させてあげるために、僕とN子の所属しているサークルの新入生歓迎ポスターを作らせることにしました。 ポスターを作るのは初めてだそうなので、とにかく量をこなした方がいいと思い、3枚、練習用にポスターを作らせた後、本番用のポスターを作らせることにしました。 練習用も本番用も、僕がチェックして、ここをこうした方がいいとかアドバイスして、制作期間はツールの使い方なんでも聞いてくれ、ということにしました。 今回、僕なりに「イラレ使えるようになりたい」と叫ぶ人たちの需要を、どう満たすことができるか、自分なりに試行錯誤して実践してみましたが、まだ練習用第一弾のポスターも完成してないのでこれからどうなるか、楽しみです。やるからには僕も頑張る。

ツール使えるようになりたい人はとにかく数作るべし。

最後に、「イラレ教える」ってだけでこんなに気合入れてるのは、やはり、手を出しつつも意思はありつつも、ツールを自分のものにする前に挫折した人をたくさん知っているからです。 「イラレ勉強したいんですけどオススメの本ありますか?」 うん。その心意気やよし。やる気は伝わった。やる気を出すために本買え。ただ多分、読んでもそんなに身にならない。読む気失せたら自分のやる気のなさ責める前にすぐやめろ。やる気を維持させることこそ最大の壁だ。だからイラレ使える先輩や友達に頼れ。イラレやらなきゃいけない状況といつでも質問できる状況を作り上げろ。 結局、ミソとなるのはそこだと思う。 …と、かねがね思っていたので実践してみたというわけでした。

フラットデザイン好きじゃない

こんにちは!部屋を片付けられない人は愛せません!もし僕が木村拓也だったら「部屋を片付けられない女は好きじゃないし、片付けられない男は女にモテないと思う」みたいな発言をテレビでぶちかましてやることで木村拓也の人気が失墜し、いやてかおれが木村拓也だ!ダメだこりゃ!ってやるんだ。もうなんだろうこれガストンです!

フラットデザイン好きくない
僕はフラットデザインが個人的に好きくないですし、個人的にでなくともWebデザイナーの端くれとして一言申したいことがあります!

その前に、そもそもフラットデザインとは何か、この上なく乱暴に説明すると、iPhone使っててiOS6からiOS7にアップロードした人はわかると思うのですが、「立体的なアイコン」が「平面的でシンプルなアイコン」に変わりましたよね。はい。もうそれ。そゆこと。フラットデザインてそゆこと。要は「のっぺりシンプルデザイン」です。

今世界中のWebサイトやスマホのUIなどのあらゆる「画面上のボタン」がのっぺりシンプルになっています。流行ってるんです。

なんでフラットデザインになったの?
フラットデザインブームの大きな火付け役となったAppleのiOS7。同社がiOS7でUIをフラットデザイン風に変更した理由を調べてみました。以下、超絶意訳。

Apple「てかそもそもさ、アイコンとかのボタンに影やパースをつけて立体的に見せてたのはさ、現実世界での見え方を真似てたわけやん?それはiPhone使う人が現実世界に生きてて、影とかパースのある世界におるから、それに似せると『ああこれ押せるボタンねはいはい』とかってわかりやすいかな思ってやったことやん?

でももうさ、みんな慣れたっしょ。文字打つボタンとかさ、一個一個ガラケーみたいに影つけてテクスチャつけて現実のボタン真似せんでもさ、あかさたなはまやらわが並んでたら『押せる』ってわかるっしょ。アイコンやアプリも同じでさ、現実世界っぽくせんでも何をどうしたらどう動くかとかわかるっしょ。」

とのこと。もはや意訳を通り越して自分のフィルターかけてしまった感ありますが、大体そういうこと。他にも、「影をつけることで解像度の低さを誤魔化していたがそれも解像度が上がった今やる必要がなくなった」だとか「レスポンシブル化が進む今後、画像などを使う機会が少ないフラットデザインは様々な画像サイズに対応しやすい」など、フラットデザインに移行するメリットは色々ありますが、僕はこの流れに納得できない。

特にここでは、見た目のかっこよさやレスポンシブ対応とかを別にして、「みんな慣れたっしょ」に関してのみ反論したい。

慣れてなくない?
ズバリ反論したい理由がこれだ。慣れてねーよ!ということ。

僕らは3次元の世界に生きてて、「インターフェイス」と「現実世界」のどちらと繋がりが強いかなど、言わずもがな後者だ。もちろん、画面が現実世界を模倣しなくなったところで支障なく使える。平面的だろうが立体的だろうが、今までと操作性が似ていれば困ることはない。そういう意味では慣れている、と言える。

しかし初めてその機械を使う人はどうだ?そこには慣れもクソもない。誰かが生まれて初めて見る「画面上のボタン」がのっぺりでいいのか?

スマホやパソコンを初めて使う人にとって「現実世界を模倣したデザイン」は少なからずよい説明書代わりになる。

デスクトップという言葉の本来の意味は、読んで字の如く机の上という意味だ。机の上で書類を整理するイメージだ。だから「データの消去」という操作が「ゴミ箱アイコンへのドラッグアンドドロップ」なわけだ。なんという分かり易さ。感動する。

だがもし仮にこのゴミ箱がフラットになってしまったらどうか。「逆さまの台形」みたいなことになっちゃったらどうか。世も末だ。万人向けのデザインとはいえない。

てなわけで僕はiPhoneに「立体感」が戻った方が初めて使う人にとって親切だと思っているし、この流れに沿って盲目的に、デスクトップのゴミ箱アイコンなどの「必要最低限の模倣」さえフラットにしてしまうことを一人勝手に危惧しているわけだ。

とかいいつつ模倣する物がなくなってるのも事実

だが!だがだね君!ここでもう一つ、一見関係なさそうでいてありそうでもあり詰まる所なきにしもあらず臭いこととして言及したいのが、実はその反面、僕は、「現実に模倣する『物』がなくなってきている」ことに関してもそわそわしている。

例えば電話のアイコン。あんなもん誰がどう見ても電話の受話器だし、バナナで電話するノリツッコミ文化も、受話器があのかたちをしているゆえだが、そもそも、固定電話が近い将来この国から消滅するだろう。

その時まだ今の電話アイコンが使われていたら、その時代に生まれた子供にとって、「なんで電話のアイコンがダンベルなの?」となるに違いない。

なんでこのガキは固定電話も知らないのにダンベルを知ってるんだ!おじさんが子供の頃は「お電話ですよ」とか言いながら大阪人にバナナを差し出すとなあ…!と説教したくなりますが、これが時代の流れというもの。

今後、アイコンのモチーフとなっている「オリジナル」の物の消滅は加速していくと思う。

今でも既に、「保存」を表す「フロッピーディスク」のアイコンなどがそうだ。フロッピーディスクなど今や誰も使っていない。人の目に触れる機会は明らかに現物よりアイコンの方が多い。

だがそれでも「昔使ってた物」をアイコンにする流れを止めるわけにはいかないだろう。例えば電話以外にもメールのアイコンは「便箋」だ。紙だ。今や日常的にはほとんど使わない。メールも電話もスマホでできる。のにアイコンは便箋と受話器だ。

かと言って、メールのアイコンも電話のアイコンも「スマホ」にしたらもうそれはそれはわけわからなくなる。「電話が緑でメールが青ね」とかなってくるとそれはもう発狂ものだ。きえええぇぇぇー!!って一人家で言ってやる。わかるかボケェェェェ!!って初めてスマホ使った人の怒りを勝手に代弁してやる。

フラットしすぎは初心者に優しくないかもしれない。この先モチーフとなる「もの」はどんどんなくなっていくかもしれない。そんな中「わかりやすいインターフェイス」とは何か?使いやすさと分かり易さのバランスをどうとっていけばいいか?

こうした問題について考えていると、デザインが「かっこよさ」や「使いやすさ」だけを考える分野でないことがわかってくる気がする。時代とともに語られるデザインテーマが変化していく感覚がわかる気がする。

んんーーやっぱり難しいねデシグン!