月別アーカイブ: 2018年1月

R帝国

中村文則さんのR帝国をついに最後まで読んだ。ついに読んでしまった。リーガルハイやブラックミラーを最後まで見終わってしまった時の脱力感に近い。

特に面白かった瞬間をメモった。

52 彼らから早く離れたくなっている

54 抵抗 反抗と抗の字が同じだが

82 叔母を殺したのは移民たちだった

135 沖縄戦で日本は論理的だった

160 加賀と早見さんのどちらが悪だと思う

162 電気療法

198 深く考えてはいけません

(どこのぺーじだっけ)よくある失恋の思い出を大切にしすぎた

(どこのページだっけ) 幸福とは閉鎖である

(どこのぺーじだっけ) 20パーセントのチンパンジー

(最後のページ) 誰か僕たちを助けて下さい

このリストアップ作業はまだ途中。後半のスーパー面白シーンがまだ入ってない。

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目を閉じてご飯を食べると

目を閉じてご飯を食べると、味覚というものの存在に気づく。

視力の低い人がメガネをかけるとより遠くの景色がくっきり見えるように、いつもスマホやテレビを見ながらご飯を食べていた人が目をつぶってご飯を食べると、より細かく「味」を感じることができる。

昔、ウェブの専門学校の先生が言ってた。「世の中には2種類の人間がいる。生きるために食べている人と、食べるために生きている人。前者は食事を作業のように思っていて、後者は『今夜何を食べるか』を昼から考えてたりする。」なるほどしっくり来る部分が多いと思った。そして僕は間違いなく前者だと思った。その時は、そう思った。

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真っ只中

真っ只中。まっただなか。いい言葉。

最近、真っ只中という言葉にはまっている。ええ言葉や。ええ言葉やで。

どこがどうええ言葉と思うんか、いまから説明するから聞いてや。

昔、友達に好きな人がいた。クラスの女子。もしかしたら両思いかも、と希望を抱ける類の片思いを彼は味わっていた。僕は、相談に乗るでもなくただ近況報告を聞いていた。友達も、「うまくいきたい」というより、このソワソワを楽しもうとしているように見えた。

「楽しそうで何より。勝手に楽しんで。うまくいってもいかなくても、おれはどっちでもいいけど。」僕のスタンスはそれだった。そのスタンスが、今思い出してもなんか、いいなあとおもう。

あの時の友達は、恋愛の真っ只中だったと言える。はいでてきたよ真っ只中。

人の恋愛の話を聞くのは、大抵の場合、人のその他の話を聞くよりも楽しい。でも真っ只中の当事者たちは、楽しみながらやってるわけじゃなかったりもする。うまく行きそうなときは楽しいけど、そうでもなければそうでもない。結果的に苦しんで終わりかもしれない。

でも最近は、例えうまくいかなかったとしても、何かの真っ只中になれたならそれはもう最高なんじゃないかと思う。自分が真っ只中になれた時、世界は自分を主人公とした物語に変わる。

それは本人からすればどんな恋愛話よりも、どんな小説のラブストーリーよりも、面白い。面白いというか、真っ只中。

恋愛に限らず、自分が何かの主人公になれる、真っ只中な瞬間というのが人生には時々訪れる。空の色が変わって見えるような瞬間。あるいは1分が1時間に思えるような瞬間。

人生って、何のためにあるんだろう。「真っ只中」に、ヒントがある気がする。

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テレビやFacebookやTwitterを開けば、他人の物語を膨大に聞かされることになる。赤の他人の恋愛話が溢れている。他人の物語は、コンテンツになる。「金持ち社長が一文無しになった」とか「人気若手俳優が薬物を所持していた」とか「恋愛禁止のアイドルグループの一人がホテルに行った」とか。

他人の物語が簡単に手に入る。関係者に知り合いがいなくても、週刊誌が取り沙汰し、知ることができる。

例えばクラスで誰かの体操着がなくなりました、ってなる。盗まれた可能性もあります、ともなる。クラスの数人がピンときて、他はピンとこない。なにかが進展するかもしれないし、しないかもしれない。

僕は内心、「どうでもいい」と思う。僕は情報を全く持っていない。何の役にも立てない。ならどうでもいい。結果さえ知らされなくても構わない。被害者と犯人とその他関係者がせめて、《余計な気負い》をしなければいい、と思う。

その後、結局犯人がわからずじまいだったとする。

すぐに風化し、みんな忘れる。

あるいはその後、犯人が発覚したとする。犯人は誰かに冷たくされるようになるかもしれない。

…クラスにインターネットがなければ、これで済む。ここにインターネットが入れば、そうはいかない。

まず週刊誌やマスコミなど、「取り沙汰すれば儲けが出る」立場の人たちが血眼で犯人を捜す。見つかった後も、「話題にすれば儲けが出る」彼らは、犯人のその他の悪い噂も嗅ぎつける。関係ないことも引っ張ってくる。クラスのみんなは焚き付けられる。盛り上がる。どうでもよかったはずのことが、どうでもよくなくなる。楽しくなる。

《クラス全体が、事件の真っ只中を擬似的に味わうことが出来るようになる》

真っ只中じゃなかったはずの人たちが、事件を自分ごと化し、味わう。

当事者たちの《余計な気負い》は膨れ上がり、一生消えることはない。

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関係ないけど、いやあるけど、昔テレビで見たんだけど。

あるアイドルグループのファンが特集されていた。そのおじさんは、いわゆるオタクで、グループのCDを何枚も買って、ライブや握手会にも通いつめて、とにかく献身的にお金を落としている。総選挙で推している子の順位が伸びなかったら、涙を流す。

周りの人からどう見られているか、などは気になりますか?みたいなことを聞かれておじさんは答える。

「お金の無駄だ、とか、自分の人生を大事にしろ、みたいなことを同年代の友人に言われたりもしますが、そういう時は、『じゃあお前、最後に号泣したのいつ?』と聞き返すようにしてます」

あっぱれ、でござる。

他人の人生の真っ只中を自分の中に取り込むのなら、こうでありたい。

楽しそうで何より。勝手に楽しんで。うまくいってもいかなくても、おれはどっちでもいいけど。